信頼

最近は本当に何も協力をしていない私に、鍵山相談役は様々お気遣いをいただいてしまい、自分としては本当にお会いすることすら恥ずかしい思いでいっぱいな私ですが、つい先日渡部昇一監修「国民の終身」高学年用を自費で送ってくださり、本当にありがたく見せていただいているところです。発行は産経新聞ですが、帯にもあるように異例のベストセラーになっているのですが、そもそも時代が変わっても、人の生き方に大きな変化はないことの証明のような気がします。最後のページには教育勅語が掲載されています。言っている内容は今本当に大切な事ばかり。もっというならばあの時代子供に教えたことを何故今教えられないのか不思議です。何か戦争反対という主張から、教育の中にこの教育勅語を入れないようですが、最近は、サッカー選手や野球選手でも国家を声を上げて歌ってくれています。国として戦うのに、国の定めた国家を反戦の道具に使うというイデオロギーには全く理解が出来ません。

相談役をはじめとして、多くの人はこの乱れに乱れた我が国の立て直しを必死に自分の体を張って、率先垂範で何の利益もないのに自費を出してがんばって見えます。その尊い姿に微力な自分も少しの協力は出来ないものかとささやかに思っていたのですが、どうしても地域優先となって最近では本当にご無礼ばかり。しかし、そんな自分でもこうして記憶においてくださる。本当にありがたいことです。ドラゴンズの山崎や、松井の会見などでもあるように、恩返しを何とか出来ないかと考えているように、人は受けた恩は何とか返すことを心底は思っているのです。しかし、プロの世界は実力の世界。一旦落ちた力は容易に回復することは出来ません。そのために引退するのですが。そこには、すばらしい人間関係が存在していると思います。しかも、何かを期待するというものではなく、実に意外性でそうした事がなされていきます。まさに、そこには信頼の原則があるのではないでしょうか。お互いに、求めず、その人のために一生懸命尽くすと言うことが、周りの人から見ても心を打つことなのです。

「人は他人の真心に触れて、己の真心に気づく」誰の言葉か忘れましたが、相談役が教えてくださった言葉です。実践、実践ですね。

盛夏の災害

例年なら今は梅雨明け10日くらい。昔から梅雨明け10日は夕立が来ると言われていました。最近は「ゲリラ豪雨」などと物騒な天候に成り、中国地方や東北地方ではまさに命をかけて盛夏を向かえなければならない状況です。天候が亜熱帯化していることはたびたび触れてきましたが、併せて、亜熱帯化した天候に対する備えが全くされていない現状です。被害を受けるのは社会弱者ばかり。我が国は是で本当にいいのでしょうか。全く評論家ばかりで、実践をしていく人が居ない。先日、京浜東北線での事故ではないですが、乗り合わせた車両を降りて必死にプラットホームと車両に挟まれた人を助け出したことがニュースになっていました。女性を助けてくださいと呼びかけた人は外人だったらしいですが。こうした事がニュースになる我が国のあり方。いかにも自己中しか生きていけないような偏った国になっているのでしょうか。事故後8分程度の停車で何事もなく電車は出発したそうですが、一人の力が目標に向かって集まることによりこうした現象が起こるのでしょう。

今回の豪雨でもそうですが、まずは気象予報のあり方を我が国はもっと変えるべきと思います。的中率を上げるように努力してもらうことはもちろんですが、自分の予報にもっと責任を持つように努力してもらいたいですね。たとえば、湿舌の予報は本当に難しいでしょうし、設備も貧弱きわまりないと思いますが、そこで、どんなときでも中央の気象予報ではなくもっと地域に予報の権限を任せ、実際に現象の中からの知恵を任せられるようにしてはどうでしょうか。様々難しいこともあるでしょうが、生活的知恵からの気象予報はその地域に未だも残っています。たとえば、爺が岳、蝶が岳などの名前の由来は、残雪が爺や蝶の形になると農作業を始める自然の合図と言われてきました。こうした自然と共に生きる知恵は代々語り継がれ、東日本大震災の時など津波から守ってもらえた人も見えたとのことです。

現在の科学は万能ではありませんし、ドンドン踏み込んでいけば大変奥深い事が多いとか。今年は今後どのような気候になるか判りませんが、命を大切にしたいことには間違いいりません。

地域活性化は人間関係

先日ある方のところに呼ばれて行ってきました。行くまでなんの話か判らず、友人の話の刺身のつま位でお邪魔したところ、実は私に対する忠告とお説教でした。当然先輩ですからお話は有り難くうかがったわけですが、私は、65年間の生き方の中で、当然悪いところばかりですから立派なことはいっていない、やってないので、出来たら社会の片隅でごみひろいでもと思って、掃除に専念しようと心に決めて来ましたが、変なことに、片隅によろうとするほど意図しない方に行ってしまいます。自分がオッチョコチョイだからでっしょうが、こうしたことは本当に少しでも私に期待していただく方に申し訳なく思って、本当に恐縮する次第です。

しかし、当地は本当に人材不足なのか、最近実に様々な役が回ってきて、その役に当て職がついてくる始末です。やっとそうした役もこの三月に終えることになり、最近少し自分の時間がとれるようになってきたところで、今回の件があり、実は私にとっては大変なショックですが、かといって今さら自分を変えると言うような気持ちは毛頭出ても来ません。何故なら、自分の生きざまを否定されるようなみすぼらしい気持ちになるような、本当に臆病な自分も同居していることにきずきました。そして終わりなら良いですが、今までの自分に付き合ってくれた多くのひとがまわりに居てくれるということ。まさに自分一人で生きてきた道はないと言うことの証明でしょうか。

忠告は有り難いことですが、やはり、自分の生きた道は自分だけが生きた道に非ずで。例の頑固さですが、やはり私は今までの道をおそらくあゆんでいくことでしょう。そうした人間関係が私は地域を活性化しつつあることに自信をもっている自分ですが。

結果を焦る民意

民主主義の民意に少し触れました。決してそうした民意が間違っているわけではないのですが、なにかそうした意味にとられたのか判りませんが、最近は多数決が絶対的存在となって、数を頼りのことが非常に多く見受けられます。今回も、民主党は数を失ったために壊滅的な状況から、元党首もそれぞれに全くの自分勝手な道を歩んでしまい、結果として若い人への迷惑のかけっぱなしと言うことになっています。本当に信じられないそうした事がいっぱい起こっているわけですが、ほとんど解決されないまま、誰か悪役を産んで悪役に責任をとらせて問題解決と顛末をくくる始末です。こうした事は困難な問題には人は関与していかないという前例を作るばかりか、本当に関与した人が生き延びるだけのことですから、後世にはうまくない例になるのではないでしょうか。たとえば、日本柔道連盟などトップは未だにいつ辞任するか言っていません相撲協会の不祥事も何かすっきりしない結末を向かえています。

スポーツ界にしてもプロ野球界では、反発のいいボールを使いながらコミッショナーすら知らなかったとしらを切っています。こんな馬鹿なことはありません。使用玉には知らなかったコミッショナーの名前が印刷されているそうです。このことをどう説明され得るのでしょうか。一方、選手の海外流出が続き、今度はゴルフの松山が海外プレーを希望しているそうです。我が国はドンドンと相撲でもゴルフでも他国の選手の活躍に、我が国の選手の台頭が見えなくなってしまいます。こうした事が起きれば、その世界はドンドン人気が落ちていきます。せこいことを言うわけではないのですが、こうした状況に歯止めをかけるためには、小さい頃からの教育こそが必要になるのではないでしょうか。小学生から英語を教えると言うことですが、それなら、幼稚園からキチンとした日本語を、国語を教えて欲しいと思うのは私一人でしょうかね。

勉強の理解度を高めるためには、キチンと人の話が聞ける能力が必要でしょう。英語が通じる世界で活躍が望ましいなら、自分の世界でがんばればいいと思います。雰囲気だけで英語を習わせると言うことは本末転倒ではないでしょうか。我が国の将来を思うと結果ばかりに目をむけていると、本当に将来が判らなくなってしまうのではと老婆心に。

本格的な雨

今日は朝からの雨です。聞くところによると東京から東北地方に駈けては昨日からゲリラ豪雨とのことで、被災地は避けてもらいたいと勝手に思っているところです。原発問題もほとんど片付かない中、具体的に復興の図面も描けない状況下で、次から次への天災には東北の人はなんと辛抱強いかとおもいます。八重の桜で今ドラマをやっていますが。その中にも東北人の辛抱強さが描かれています。東北と山口は最近まであまり仲がよくないと聞いていましたが、あのドラマを見ていると本当に大変だったと思わざるを得ません。同時に、明治維新以後も「やませ」で、米の不作が続いて、娘を売らなければならない状況が長く続いたようです。日本列島は本当に縦に長い地形です。北と南では全く気候に違いがあります。その中で、それぞれの地域で自分たちの知恵で、その地域にあった生活を生み出してきました。しかし、天災もいつも来ているわけではないので、昔の人が伝えてくれたことは忘れてしまいがちです。そして、大きな被害に出会うわけですが、本当にその時生きている人は実に不幸である訳です。

そして被害に遭われる多くが社会弱者です。弱者を大切に出来ない社会はよい社会ではないと言われていますが、どうしても社会弱者にしわが寄ってしまうのは、今の我が国があまりよくないのでしょうか。安倍政権が支持率を大きく下げたそうです。多くの国民は今回の結果は自ら投票して結果であります。3年にわたる安定政権下でどのような政治が行われるのでしょうか。仮面の下は所々で垣間見られてきているような気もしますが、そうなれば、国民は本当に政治不信に拍車をかけていくことに成り、逆に、民主主義がいったい何であるのか改めて問いかけなくてはならない場面が来ることのないよう祈るばかりです。

コイン会の雨での被害が本当に最小に終わることを祈りなあら。

本気

相田みつお先生、坂村真民先生の大好きな詩に「本気」と言うのがあります。私も人生この方本気で何かに取り組んだことがあるだろうか。何でも中途半端。その中で、以前は学校のトイレ掃除をするときは、本気になって汚れ落としに集中していたが、この頃はリーダーや巡回などという役割で、そうした楽しみも奪われてしまっているため、本当の意味でのトイレ掃除もつまらなくなってきた居るのですが、最近はその掃除にも参加する機会も無く片田舎でくすぶっている始末。本気でまちづくりに取り組んでいるかと思えばそうでもない。なぜならば、様々口を挟まれるたびに「自分でやったら」的気分になってしまうのは、結構どこか冷めたところが自分にあるのではと思いますが。先日の名古屋場所、「稀勢の里」が大変重要な場面でことごとく相撲ファンの期待を裏切っていました。あのような結果にファンは座布団を投げて怒りを表していたのですが、ああしたことを続けているとファンもいつか離れてしまうのです。

大正村にお客さんが来てもらえない。最近そうした声をたくさん聞きますし、自分でもそうした事を言っているのですが、以前は年間30万人超の観光客が来てくれていた事実はいったい何であったのでしょうか。人がお越しくださるから必死にお客様に喜んでいただける仕掛けを作っていく。その仕掛けが本物でないにもかかわらず、何かお客様までが本気になって共に皆さんが喜んでくださるように工夫して共に大正村の運営をしてくださる。リピーター(あまり好きではない言葉ですが)となってドンドンお客様が増えていって、30万人を超す街になったのでしょうが、その上にあぐらをかいて、阪神大震災の頃からボランティアという行為が当たり前になっていく中、お客様へのサービスを忘れ、いつの間にかまちづくりに対する情熱まで失ってしまった結果、人口減少が激しくなるに任した地域になってしまったのだろう。

大正村の原点とよく言われるけれど、本当にそうしたところを理解しているのだろうか。原点とはいったい何なのだろう。住民が住んで喜んでもらえる地域づくりに「大正村」はいったいどんな効果があったのだろう。何をするにしても同じ事で、本当にそうした事が本気に出来るのかどうかを、自分に試すことも大切なのではないかと、最近自らの胸に本気を問うているのです。

圧勝

マスコミの予想通り自民党の圧勝。衆参ねじれ現象も是で一件落着と成り、我が国の政治も安定感が取り戻されるのだろうか。一方、小沢一郎率いる生活の党などは一人の当選者も出ない始末で、民主党もわずか17人の当選者になった。本当に厳しい国民の判断であるけれども、民主党の政権交代以後の動きを見れば是も当たり前なのだろうか。今回、民主党の替わりに自民党が大躍進できたのかな。共産党も本当に久々の躍進は、自民党に対するさや当てなのでしょうか。海外は大変安倍総理の軍国化を心配しているそうですが、我が国も、本気になって国防を考えなくてはならないときだと思います。私も軍国主義ではないですが、現在我が国の状況は、国防を全くアメリカに頼っている状態。いざ何かあれば、在日米軍が我が国の国防をしてくれるのかを考える必要があると思います。軍備というより、どのようにして国防をするのか、同時に、韓国との関係はどうするのか。又、国内にいる在日の人との対応をどうするのか。こうした様々な以前と異なる状況が、我が国に与える状況。全く未経験な現実の中で、いかように我国は過ごさなくてはならないか、本当に誰も答えを出してくれないので、怖い、国民が手探り状態で事態の解決をしなければならないと思いませんか。

こうした我が国の状況を誰が予測したか。まさに誰も予想できない事態ではないでしょうか。そして今回安部二次内閣が安定政権を手に入れ、社会保障の問題、増税など多くの未知数に立ち向かわねばならないとき、安倍総理はどのような指導力を発揮するでしょうか。問題から目を離さず、直視して国民全員で解決に進んでいくためには、口ばっかりの共産党など帰って邪魔な存在ではないのでしょうか。我が国大政翼賛会ではないにしても、考えをある程度固めた動きが必要でしょうが、是は、地域におけるまちづくりとよく似ているのではないでしょうか。少々のことには目をつぶるくらいの力量が今必要では。そして、我が国をどのような国に進むべきなのか。一人でも多くの人と語らい、ましてや今回のような投票率は本当にいただけません。今日は、土用の日。高いウナギなどとても口には出来ませんが、せめてうりなど食べて暑さを乗り切ろうではないですか。

参議院選挙

本日参議院選挙の日。与党勝利の公算が大変大きいマスコミの報道ですが、いかがなりましょうや?今回自民党が大圧勝すると、憲法改正問題などから公明党や、自民党の中からも離反までいかないにしても圧勝しながらきな臭い臭いが漂うのではないかと思います。どうじに、期待するわけではないですが、閣僚スキャンダルもいく久しくない中ですが、気の緩みもそろそろでるかもしれません。中国では必死に汚職撲滅を図っているそうですが、なかなか根絶やしとまで行かない状況だそうです。自民もついこの前までは様々不協和音と言うより、国民からの疑いの目を向けられる数々の行為始め、麻生首相時代など良識を疑う行為の数々を国民は忘れたわけではありませんが、あまりにも民主党の政権交代期待が大きすぎた結果、すぐ人材不足を露呈してきたためにの政権交代が、今回はねじれ解消として、国民生活に大きな変化を与える結果を世界からも注目しているでしょう。それは、我が国民の民意がどの程度であるかを見られている。国民頑張って投票にいきましょう

時は何を変えるのだろう

地域が大正村に取り組んで来年30年を迎えるとのこと。ずいぶん長い時間がたったものだと思いますが、反面よくまあこの勢力で大正村を運営してこれたとも思います。私は本当に何もしていませんが、日々の運営でご苦労されている皆様にとってこの30年は長かったか、それともあっという間であるのか伺ってみたいような気がします。その間、大正村にも数々の転機があった事も事実。そして、現在公益法人としての大正村の活動が始まったとき、長年勤めてこられた理事長と、副理事長を失うことになりました。転機ではなく、この変化をどのようにくぐり抜けていかなくてはならないか大変な問題です。おそらく旧理事長もたくさんのやり残された問題が放置されたままになっているだろうし、大正村が進んでいけば行くほど、新たな問題が発生してくると思います。そう知った問題をテキパキと片付けて行っているようには見えないので、おそらくこちらもドンドンと問題は山積していることでしょう。

そもそも、大正村は地域の今後のまちづくりとして地域で始まったものですが、現在では観光地としての取り扱いが主流をしてしめて居るため、どうしても話題の中心は観光客の入り込み具合に偏っていきます。しかし、観光に出来るような資料や建物はこちらにはほとんど存在しません。特に、資料においては貴重と判ると大切に倉庫にしまう癖があり、何とも矛盾した世界で大正村が生きていこうとしているように思えてなりません。ある意味、大正村を生業とする部分はもっと徹底してこだわることと、そうでない、生活の変化を街並みからでも判るようにする。まさに、村全部が博物館でもよいではないかと思いますが、その意味では、そこに生活している方たちとの景観をはじめとした生活を、住みやすい、我が町特有なものに変えていくことが必要ではないでしょうか。

先輩が残してくれた大正村というまちづくりの本質を、そろそろみんなで話し合って、住みやすい街に作り替えていくためには、時の変化をじっくりと見定めないと今後のまちづくりの方向が間違うと思い、十分注意してしかし進んでいかなくてはならないでしょう。

まちづくりとは

地域協議会を引退したにもかかわらず、何のかんのと用事があるありがたいことですが、協議会亡いに居るときと比較すると情報が非常に偏って居るため、判断が下しにくい状況にあり、まさに情報の重要性が身にしみています。昨日町内の方と話をしていたわけですが、本当に状況をキチンとつかんで見えて、驚くべき事でしたが、年配ですが人の動きが人生経験の豊富さから手に取るように判るのかと思います。同時に、交友関係の豊富さが当事者の性格を読めるようです。しかし、ご本人は最終的には「自分は渦中にいないから」とおっしゃって見える言葉が印象的で、やはり現場にいない事が確証を得られないのか、断定をする言葉は出てきませんので、逆に信頼度は高い感じがしました。同郷にああした方がお見えになる事は非常にっこおrづよいきがします。特に、人を判断するのに、その人の家計から生き様まで読んで言葉が出てくるのには年輪を禁じ得ませんでした。

まちづくりに最も危険なことは我欲である訳ですが、時としてやっかいなことに欲が形を変えてどこかに潜んで知るため、こうした持論を貫くときに結果として我欲を通させる、人を利用する形になる可能性があります。そして、自分の言うことを聞かない場合は、人の善し悪しを考えず仲間から切り捨てていく。つまり我欲を通すために平気で人との縁を切るように成り、そのことが当たり前と思うような人間になってしまうと言うことです。本当にこのことは難しい事ですが、まちづくりという行動にとって自己判断は非常に大切な事とおもいます。少なくとも、まちづくりという看板を掲げていく以上は。

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