最近考

最近・・・と、振り返ってみるとこう書いていることが多いですが、あることすべて以前と変わってきたことが多いように感じます。年かな。ウ~ム、それもあるかもしれませんが、変わったことには一つ筒大きな変化の原因があるのではないでしょうか。たとえば、先進国の経済危機とブルックス各国の順調な経済成長などは、成長スピードの落ちた、北側先進国の資本主義の断末魔と、資源国として成長しながら、再投資を国内で盛んに行って国内消費を盛り上げているブルックス各国の違い。決定的な違いは給与面。もちろん知遇面など様々ありますが、いずれにしても要因は給与を経済成長で吸収しているかどうかです。我が国も経済成長の著しいときには、給与で労働者を得ていた時代があり、それが今となっては労働者の多くが契約と様変わりな状態です。又、良くかくのですが、気候の変化も実に激しい。海洋ではその変化がはっきり見えるらしいですが、亜熱帯気候へと変化していく状況下で、従来思いもしなかった大都会の集中豪雨や、今年のような大変な大雪など、その時の気候変化が大変荒っぽくなっていく傾向が亜熱帯気候への変化と言うことらしいです。

こうした変化はいったい社会にどんな変化をもたらすのでしょうか。経済にしても気象予報にしてもそうですが、天候や日尾との生活の変化情報をどのように敏感に感ずることが出来る能力を持ち得るか。残念ながらこうした事は学校の授業でも党zんおしえてくれません。では、自分から変化を捉える感性を磨かなくてはならないのですが、こうした事を磨くためには何をしたらよいのか。本当に難しいことですが、人生の師を自らに求め、教えを体験することが大切なのではないでしょうか。師とは人間ばかりではなく、著書でも大いに結構。著者が何が言いたいのかを、じっくり読んで考えてみることで、そこには主体性という実力が芽生えてくるのです。ただし最近では本ではない場合もありますが、そこにふれあいという事が非常に大切になってくるのです。最近はこのふれあいも大きく変わってきたのですが、昔のようがいいのか、現代のようにさっぱりしていたのがいいのか。そういえば、甲子園もずいぶん試合時間が短縮されました。交代の折にはほとんどのチームが守備位置とベンチを全力で駈け、ピッチャーのインターバルも非常に短くきびきびとした試合が見られ、本当に気持ちいい限りです。のびのびはつらつのプレーを今後も乗ります。

そして、昨日の桐蔭高校と県岐阜勝の試合で最後の守備妨害にとられたプレーは、実に残念でただ単に勝ちにこだわったプレーであったと、桐蔭高校にはしっかりと反省を期待したいと思います。昔ならああした事は起きなかった。キャッチャーは栄光の校歌斉唱が出来なかったですから、余計に全国の高校球児の頂点を極めたチームとしては、深い反省をすべきで、一方の県岐阜商の戦う態度は実に立派であり、久方ぶりの岐阜県人として、大きく胸を張りたい気持ちです。最近考をし出したら枚挙に斬りがありません。

期末

あたらいい年を迎える準備が整って今日は年度末。振り返ってみると相も変わらずドタバタと時間を過ごしていたと本当に思います。1年の締めくくりは12月ですが、仕事の関係ではやはりこの3月が大きなひとくくりです。退職される方もお見えになれば、新しい息吹もはいって見えます。季節は春本番を迎え、まさに新しい年が来てくれるのですが、人間不思議なもので、新しい年を感ずる為にはたくさんの方の話を聞いたりして、それでなければ新年は迎えられないとでも思っているのか。新聞などには、首長の挨拶などがのっています。本当に気が締まる思いの方は何人お見えになるか、などと失礼なことを申してはいけませんが、心新たに自分の道を歩んでいける方は果たして何人お見えになるのかな。

などと、大変失礼なことを申し述べていてはいけませんが、本当に心新たに自らを鼓舞できる人がどのくらいお見えになるのでしょうか。それは、キチンとした自分の道を認識されている人に限るのではないかと思われるのですが、それでも自らの道は本当にややこしいです。なぜなら、自分自信が自分の道をしっかり理解していないからに過ぎませんが。最も、世の中には悪いことは人のせい、よいことはすべて自分のおかげという大部が多くなりました。こうした人は必ず責任の存在を決して自分でとらない人が特徴です。言ってみれば無責任きわまりない人の数が如何に多きこと。

最近、まちづくりが各所で盛んに行われています。「まちづくり」などと言えば、非常に響きはよいのですが、現職を抱え込んでいる組織は大変なことだろうと」おもいま

理事長亡き後は

大正村の理事長が亡くなり数週間が過ぎました。大正村に大きな変化は訪れていませんが、これではいけないと思いますが、果たして誰が変化を言い出すのか。体制としては、少しの間職務代行をおいて、その間に理事長を決定すればよいとの結論のようですが、果たしてそれで大正村の活力が上がるでしょうか。と言いながら自分も積極的に大正村に関与していくわけではないですが、しかし、どんな組織でもあり得ることは、組織の活性化はトップの役割であると言うことです。その活性化とはこうした自主的組織の場合、本人たちのやる気を如何に引き出すかということで、そのためにトップは目先の活動ではなく、ある程度の戦略的な動きを大切にする必要性を感じてもらえると、部下は非常にやる気が起きるのではないでしょうか。

そうしたトップの役割を果たすため、トップは器を大きくする努力をしなくてはいけませんが、砂の器では意味がありませんので、キチンとした器にしていくために、自分の考えを理解してもらえる友を必要としてくるのでしょう。すでに何度も述べてきましたが、そうした友を作るために、自分の考えをキチンとして説明できるよう、常日頃から整理をしておく。これが志へとつながるのではないかと思っています。

志の強い人は、他の人との関わりがしにくい、俗に頑固と言われやすいのですが、自分の考えをふらふら変えていてはついていく人が大変です。朝令暮改なんて言葉がありますが、しかし、器の大きい人は人の話も良く聞いて、自分の考えばかりにこだわっている人でもないようです。今、安倍内閣の支持率が結句高いようですが、以前に苦労をなされた結果が現在を築いているのでしょうか。

転倒

振興事務所で会議が終わり、いよいよ私の役割も終わりを告げたと暗がりを駐車場へ足を運んだとき、今までパレットに山積みしてあった凍結防止剤がなくなって、パレットがむき出しのままおいてあり、それに気づかず、躓いてバタンと倒れることはなかったのですが、膝と手をすりむくけがをしました。倒れ込むことを以前なら我慢できたのですが、やはり年には勝てず前向きに転倒し、両手、右膝を擦過して特に手を動かすに不便な状態です。普段使っている手指です。こうした状態になると如何に普段がありがたいか、改めて感ずるところです。同時に、昨日転倒したときはほとんど打ち身の痛みなど感じなかったのですが、今日になると擦過した周囲が黒にえて、少しでも触れば痛いいたい。本当に不便なことに成りました。

やはり、人間はけがをすると言うことは危険をそこで知らせてくれるのでしょうか。長女に「けがをした」と言ったら、「それだけですんだからよかったじゃない。」と、なぐさめてくれました。人間考え様だと教えられましたが、子供にそうして教えられるようになったと、フット考え込んでしまいました。人の成長は本当に早いものです。

人事の季節

4月を前に新年度の人事が各所で発表されています。中には、定年で職場を去りゆく人。逆に、天下りの人もお見えになるかもしれませんが、いずれにしても真新しいそこには待っている事と存じます。桜が咲き、新しい職場で心機一転次の仕事に励む姿は、ちょっともの恥ずかしげな、新入とは違った味わいを感じます。

こうした方たちは非常に経験も豊かです。自らの身の処し方も十分存じて見える方ばかりでしょう。しかし、新たな職場に再チャレンジしようとされる姿は何故かフレッシュさと緊張感が満ちあふれています。それは、社会を経験してからの再就職なので、余裕が見えるのか、一方では初めての職場ですから、その分の緊張感も見受けられるのではないでしょうか。

土佐高校

全力疾走でベンチを往復し、打撃凡退後でもベンチへ全力疾走する姿勢から、21世紀枠で高校野球選抜をされた土佐高校。20年ぶりの甲子園だそうです。もっと以前土佐と言えば中京高校と再延長戦を繰り広げたチームと記憶しています。今回、選抜の意に答えるべく本当に全力疾走で試合がきびきびと、実に気持ちよく運営されていました。残念ながら浦和の好投手に攻撃を阻まれていましたが、各バッターは何とかしようとボールに食らいついて行っていました。その姿勢はあきらめる事なかれの教えがターン浮かれていました。

試合が後半に入ってくるとやはり力量の差が出てきます。そこで、試合を捨ててしまったり、気の抜けたふてくされた態度が出たりすると、高校野球全体のイメージがダウンしますが、こうして一生懸命あきらめることなくボールを追う姿は、子供達からはあこがれであり、大人から見れば純粋であり、白球の絆の大切さに、あれだけ多くの高校野球ファンが存在するのでしょうか。

ふるさとでもそうですが、一生懸命やっている人がそこにいれば、つられて臆面も無くまちづくりをお手伝いしようと考える事があります。会社でもそうですが、やはり、自ら身を入れていることは、自らの情熱が自ずとそこに現れるのではないかな。掃除などはその本当にいい例です。鍵山親分の姿勢を見ていれば裏切ることは出来ないとつい役に立たなくても、いや、かえって邪魔になってもお手伝いに出ているつもりな自分がいるのです。そして、そのことが本当に気分爽快に自分がなっている・・・。でも、ほんの少しでも自分がその気になっているとが他の人に判ってもらえたとき、自らの心が躍ることを経験したことがある人は、逆に人の真の喜びを理解してあげることが出来る人ですね。

エネルギー

動かすには何でもエネルギーが必要になります。たとえば、人に動いてもらうためには自分が動いて、率先垂範をしなければ人は納得して動いてくれません。単に、表面上だけ動いてもらうことはつきあいという人間関係の中や、組織という事で動いてもらえるのでしょう。しかし、本気になって動いてもらうと言うことになると、その人が本気になってくれているかどうかで動きは全然違ってきます。高校野球が始まりましたが、甲子園常連監督などはほとんど自分の時間など無いに等しい生活を送って見えるのではないでしょうか。ご本人のみならず、奥さんまで共に動いて見えるのかもしれませんが、一生懸命と言うことはそうした熱意を如何に他人に伝えるかです。

当地大正村もはじめの頃泰明さんが家業をほかるぐらいにしてまで大正村というまちづくりに狂奔されました。その姿に、明智を結構冷めた目で見て見えた泰明さんの先輩が、必死のお手伝いを始められ、どこへ行くにも3人一緒に動いて見えたそうです。この原動力が大正村という世にも不思議なまちづくりをしてきました。しかし、こうしたまちづくりに組織が出来るともう責任のなすりつけあいが始まり、組織瓦解していくのは本当に早いです。それは主体的な動きではない。結局やらされるという感覚が人を強く支配していきます。自分の責任以外は何もやらない。やる気が支えていた組織がいつの間にか、組織という義務でやらねばならないことを決めて行ってしまい、あげく、誰がやらなくてはならないなどと、やる気を機能不全に落とし込んでしまいます。組織から逃げる人が多くなり、結局組織の崩壊は加速度的に早まっていくのです。

もう一度あのときのエネルギーを取り戻すためにはどうしたらいいのか。これはあの当時と時代背景も違ってきていますから本当に大変な事ですが、あの当時一人で始められたことを、数人の力でなしえていくことは可能であると思います。なぜなら、以前は理解者を作っていく努力が必要ですが、今は、たくさんの理解者がお見えになっています。そうした人のエネルギーを集約すれば、再びあの大正村はよみがえると思います。

墓掃除

彼岸の中日墓掃除。に墓へ行けなかったので、今日風は冷たかったのですがお墓へ行ってきました。墓参りと墓掃除をしてくるわけですが、杉の枯れ葉がたくさん落ちていて、掃除と言いながら相当な両手に力が必要になって来ます。同時に、周囲を見回すと墓があれたところご相当目につき、墓も過疎化になって行っています。特に、墓を建てるのに最近先祖代々の墓形式が多くなり、墓地で掃除する部分はそこの部分だけとなりますから、必然的に後の部分はどうしてもあれた状態となるのです。「生を抜く」と言いますが、先祖代々に統一すると当然以前にたてた墓から生を抜くわけです。しかし、墓誌代わりに墓をそのままにしておけば、墓誌の刻印代も節約できるため、大切に古い墓石もそのままにしておくのですが、古い方はどちらかと言えば墓石を洗ったりしませんから、その墓の範囲は荒れ墓のイメージに成りやすくなります。

時代が変化して行くにつれ、こうした生活様式も時代の考え方につれて変わっていきます。それにつれて経済も著しい変化をしていきます。その変化について行けない状態が、世の中のおいてきぼりとなるのですが、そのことの自己主張が全く自己本位であると、「頑固」とか「わがまま」とか言われがちです。時代について行く事が果たして正しいのかと言うことも考え物であります。それは、残存者益という言葉もあるようですが、概して、その時の変化への対応ということについては、やはり変わり身は大切でしょう。その変わり身という感性が必要なわけですが、もう一つ。自分にキチンとした価値観を育てておくことだと思います。「志」まさにそのものであるわけです。

先祖からの歴史はお墓を見れば判るとも言われるくらい、我が国は古来から家の歴史についてこだわりを持ってきました。たとえば、亡くなるとつけられる戒名。お墓の数などは背後霊として、自らを守ってもらえる力ともなるなどと、相当に古式を尊んだ封建的な社会を尊んできたようです。しかし、時代の変化は、そうした古来を今否定しようとしているのです。たとえば、サイバーテロなど、少々コンピューターに詳しい人間がいれば、軍事力など問題ないくらいな売りな戦いが出来る時代に成りました。単なる知識だけでも世の中を脅せる時代なのかな。

すごい天候

つい先日まで寒さが残っていましたが、この数日は好天に恵まれたせいもありますが、気温がどんと上昇して、梅も桜も皆一緒に咲き誇っているようです。何か、天候が従来と比べてもちょっとおかしいのではないかな。どこがおかしいかと言えば、変化が本当に急すぎて、人間の体が天気の変調について行けない状態です。昨日は特に関東を中心として非常な強い風が吹き、東海、近畿では4年ぶりの「春一番」だそうです。何年ぶりと表現をしますが、地球は恒美活動をしている関係で変化は周期が伴っているんですが、明日の天気ばかり最近の人は気にしていますから、地球の周期気候変化など全く問題にしていないような状態で、周期変化が来ると改めて驚くようになってしまっています。天候もそうですが、地震などまさにその典型ではないでしょうか。東北には、「これより下は津波注意」というような石碑がいくつも見られるそうです。

昔の人の知恵は自然との共生の中にあって、謙虚にその教えを守ってきましたが、現代ではそうした教えすら通じない社会になってきてしまいました。そうした社会から産まれてくる発想は果たして大自然界に生きていく人間が、自分勝手に受け入れていく身勝手さで正直受け入れられていくのでしょうか。ともかく自然界にない放射能で世界の3カ所も被害を受けています。経済活動に安定した電気は必要とばかり、辺り構わず原子力発電を国を挙げて推進した人間社会。今後、中国はじめ、インドなど産業の活性化を狙っている国は、いったい安定した電力の供給はどうするのでしょうか。

本当に一度振り返ってみたい気もしませんか。時を止めて。東京に私の友人で大正時代をこよなく愛している女性がみえます。調理するにも七輪を使い、水洗便所ではないトイレで不便というより、自分のスピードにあった暮らしの道具を使ってみえます。時は全く誰にも平等でありますが、使い方によってはそうではありません。強い風雨を見ながらこんな事を思うのは私だけかな。

合併

地元の皆さんの多くの方は吉田小学校PTAの考え方に賛成をしてくださるようです。後は一部のイデオロギーで反対をしている方をどうするかです。今、地域協議会で検討している明智小との合併問題の結果が、そろそろ終わりを告げかけてきたようです。それは、3月31日に現在担当しているそれぞれの役が任期を迎えるため、かえって吉田校区PTA役員を始め、地元の皆さんもいささか慌て出されたのか。私としては、時期がずれても組織もやっていくことも替わりがありませんので、別に大慌てしてせっかく積み上げてきた努力を無にすることはないと思っていいるのですが、地元が合併に向けて大きく動き出したと言うことはそれはそれで意見として取り上げやすいとは思います。

正直なところ、地元の意見を尊重してと言うことですが、こうした問題は地元最優先で進めていただきたい問題です。なぜなら、地元無視で他から決定していっても、それは絶対地元は納得しないと思うことですし、出来たらそうした動きは今後に残したくないと誰もが考えることではないでしょうか。そのためには、今回のように当事者であるPTAがたくさんの汗をかいてもらわなければなりませんでしたが、しかし、今回は本当に良くやってくれました。今後の地域発展の大きな原動力になる事と思います。

Categories

A sample text widget

Etiam pulvinar consectetur dolor sed malesuada. Ut convallis euismod dolor nec pretium. Nunc ut tristique massa.

Nam sodales mi vitae dolor ullamcorper et vulputate enim accumsan. Morbi orci magna, tincidunt vitae molestie nec, molestie at mi. Nulla nulla lorem, suscipit in posuere in, interdum non magna.