いずくもねじれ現象

自民党党首選が終わり、選挙結果は地方と国会議員のねじれがお呈された格好になった。これで国民は自民党を頼る気持ちも半減。ますます政治不信は深まっていく。同時に、外交問題も全く混沌とした様相を呈したまま、韓国、中国は次期指導者へバトンが引き継がれることになるし、我が国は全くもやもやのまま政治駆け引き材料で国民生活に直接影響を及ぼす案件が駆け引きの道具に使われる状況に何ら変わりは無く、かけ声は今こそ国民一致団結して国難を乗り越えねばと言いながら、一方ではこうした自らの立場の擁護ばかりを考えている議員のいかに多きか。

貝山相談役の日めくりカレンダーに道を諭す人はたくさん見えるが、実践する人はいかに少なきかなとあります。まさに今我が国の組織のあるところはすべてこうした事が多いです。そうした中、何故このような国になってしまったのか考えてみるに、一つには選ぶ方の無責任さがあげられると思います。現在、論ずることはいっぱいしますが、具体的にその道を直しながら歩んでいく。特に、友の手を引きながらと言うことになるとほんとうに数が少なくなります。かくいう自分もその通りで、最近は大切な掃除もなかなか実践できない状況ですが。

まずは我が身をただす。まさに現代に必要なことはそうした事なのでしょう。反省ざるの太朗の話を先日テレビで見ました。まさに自分を育ててくれる人をまず信用して、いったんそうなったら後は一心について行く姿。そうなるとついてこられる方もわがままや、悪いことはやっておられなくなり、本当に自らも気の抜けない生活態度になってくるのではないでしょうか。ねじれは、言ってみれば自分のこと優先の論理で、たとえば国会でも、民主党がやっていては我が国は危ないと危機を感じ、政権交代を望むのか、自ら権力を奪い取るために解散をするのかが判りません。こうした中では我が国も将来を語らい今こそいつになって国難をなどと絵空事を言っていられる余裕など無いとます。本当は、復興庁仙台において、東海沖地震対策は専門の省庁を置き、原子力問題は徹底した議論を官民が出来るそんな取り組み姿勢があれば、ねじれなんて起きません。野田さん民主党内のみならず自民党内まで配慮のしすぎではないですか。

寂しさ

彼岸の中日。お墓掃除とお参りに行きましたが、毎年そこで出会う方に今年は出会えず、いつもきれいにされている墓周囲も少しばかりではなく汚れが目立っていました。昨年はかの整備をされ、永大供養をされたしまったのかと思うと、本当にお寂しい思いがしたわけですが、家内の話からどうもそうではないようでしたので一安心しましたが、しかし、ふるさとがだんだん寂しくなっていくということは実に厳しい思いのすることです。地方は過疎化して、限界集落という言葉が現実化してきた今日、果たして自分ところはどうなのかと不安は常に頭をよぎります。以前には本当に考えられなかったことですが、改めて人口減少の恐ろしさが身を切ります。

当地域でも小学校の合併問題に現在取り組んでいるところですが、協議会の中に同地域の保育園の保護者もお見えになりますが、こうした面倒さがあるのならいっそのこと合併を小規模小学校とした方がよいなどの、以前には考えられない意見が出ています。時代はどこまで変化していくのか。負け組は徹底な負けのみか。しかし、歴史がたつに連れ添うしたことも「逆も真なり」でしょうyか。

やはり「大きな努力で小さな効果」

以前鍵山相談役はことあるごとに「大きな努力で小さな効果」と言って見えました。誰もがサクセスストーリーを夢描く昨今。特に、小さな努力で大きな結果を出した人は多もてはやされるとき。小さな努力を積み重ねて、その中で蓄積したノウハウを活かしながら、何か周りから見れば大変不器用な生き方しか出来ない人など、今の時代スピードに起き去られて言ってしまう不安に人は常に駆られるのでしょう。誰もがスピードを競い、競いに打ち勝つためには人生までも犠牲にして、自分が生きていくべき道ではない道を歩もうっとする人のいかに多きことか。実はかくいう自分もそうした中で焦って生きてきました。そのために常に不安と焦りが交錯している中で、いったい自らの幸せって何だろうと考える暇などありませんでした。相談役に出会い、がんとした自分らしさの生き様を見せてもらい、何か自分が今まで何をしてきたのだろうと思うこともありました。しかし、自分らしさを貫くためには、本当に一生懸命自分らしさを常に保っていないとすぐに流されるのです。かといって、自分らしさを守るためにと言うことで頑固になってしまう人もあります。これも本当に不幸な話です。自分はよいですが、その人の周りにいる人たちが本当に不幸になってしまうことすら感じない。ただ、自分の考えを押しとおせたという満足感のみで、結果はまた孤立化したのだと感ぜられない人もお見えに成ります。

鍵山相談役はこうも言って見えました。妥協と言うことは決行できるものです。しかし、自らの目標が高ければ高いことが前提です。掃除に学ぶ会は全国から世界に広がりを持つようになりました。掃除の会について様々なお話がくっついてきます。しかし、掃除の会という本質を誰の間から見てもぶれないようにするためには、人一倍以上の努力が必要です。水に流されない。しかし、流れに逆らうことばかりも続かない。そうした事をトイレ掃除という体験から学ばそうとされたことは、本当に頭の下がる思いです。まだ、自分など掃除の域にまでは達していませんが、少なくとも学ばせていただこうというけっいが出来たことは本当にありがたいことです。やはり常に感謝の気持ちを忘れず、努力を積み重ねることが人を成長させていくことになるのでしょうか。

党首選挙

厳しい社会情勢を尻目に、民主、自民はあいも変わらない勢力争いに明け暮れて、ものすごい言いたいことはあるのだけれど、いったん切っては前に進んでいかないと、気づいたときはもう手遅れなんて事が氾濫してきました。医師の専業化から予防に対する措置出来ない状況に患者はは置かれている現代。病院へ往って病気はよくなるのかも疑わしい限りと成りました。特に、今日本にとって大切な時期だと自らの口から漏らしながら、現代の体たらくでは日本は将来本当によくなるのか疑問です。そこには人が育たないフィールドが出来てしまっているため、人を育てるなどと言う日地面倒なことには出来るだけ絡まないという、国民にとって政界の寂しさをまじまじと見せる党首選が始まりました。

派閥の代表が最近では人気が無いと下ろされる下克上の状態で、本当に混乱を露呈しています。同時に、派閥の長は飼い犬に手をかまれることもあるようで、政界の明智光秀などと呼ばれている方もお見えになるしまつ。光秀が聞いたら気を悪くしそうではないでしょうか。かきたいことは山ほどあります。きりが無い。そして、国民のためにという言葉も本当に聞き飽きた国政選挙が、いったいいつあるのかも判ってないのに選挙モード一色な既成政党は、果たして維新党に今までの自分たちの座をとられないのでしょうか。変化は刻一刻近づいています。変化は当然形となって現れてきますが、その形には将来という重い荷物が伴ってきます。誰が亜それを担っていくのか考えれば、当然将来のにないは少なくとも若い人たちでsるはずですが、最近はそこが本当に気力がありません。草食系男子などという言葉が出来るくらい我が国の男子の気力は衰えているのです。よしにつけそうした隙に橋下市長のような若者が現れると、雪崩のごとくそちらに吸い寄せられていく国民性。人生は人が生きるものでなく自分が生きていくものです。そうした意味で、きちんと自らの考えで生きていける自分を作るために泥区を重ねようではないですか。けして女性の力では日本の先行きが暗いといっているのではありません。そして、将来を背負うべき若者を育てるのは現指導者の大きな役割れでもあるはずです。

党首選を見ながら日本の将来が明るくないことを強く感じる自分が帰って年をとったのかとも反省しています。

ブランド

大正村事務局に大坂岸和田市からだんじりを東北へ行って披露した一その道すがら大正村でだんじりを引っ張るか、展示だけでもさせて欲しいと話がありました。岸和田はだんじりで日本が元気になって欲しいと、トレーラーにだんじりを積載して運ぶそうですが、こうした試みは初めてと言うことで、当事務局長宛に熱いメッセージがきていました。何とかこちらでだんじりを引くことが出来ないものか検討したいと思いますが、皆さん異口同音に何で大正村にだんじりがきてくれるかと質問があります。詳しい話は聞いていませんので判りませんが、大正村というブランドの大きさに改めて驚いています。なぜなら、普通のところでは見向きもされないのでしょうが、先方からわざわざ申し込みがあると言うことは、誠に光栄の至りです。

そして、自分たちのお祭りが先祖からの大きな力を持っていることもしっかりと認識して見えるようです。東北どころではなく当地も元気がっだしてもら得るようにならないかと欲をかいています。最初からやれないことは少なくとも工夫もしない。大正村は何とかという工夫を重ねて現在に至ったと思いますが、いつの頃からか金がなければ出来ないと合い言葉になっています。今回、だんじりにいくらかかるのか判りませんし、当地も新たなる事業に金はかけられません。それではどうしたらいいのかと考えると、そこでみんなの力を合わせる工夫をするようになると思います。まさに大正村はそうした事の積み重ねで今日までやってきたのではないでしょうか。そして、みんなが一生懸命になっているからこそお手伝いをしてくださる人たちが現れてきたのではないでしょうか。そこに、予想尾遙かに超えた夢の実現が出来たものでしょうが、今はどうもエネルギーが不足しているような気がします。何とかそうした小さな力が合わさるような指導の出来る大正村であって欲しいものです。何とかこのだんじりは東北を元気づけるためがんばってもらいたいと思います。

新たな試みなのか

自民党内部で盛んに派閥組み替えが起こっているようです。世代交代の波と言ってしまえばそうなのでしょうが、今回はそんな単純なものではない事によったら首相になる人を選ぶ選挙だと言うことが控えているかのようですが、国民の方はいまいち盛り上がりに欠けています。民主党の党首も選挙戦では敗戦覚悟の就任と存じますから、現職以外受ける人がいない中、では当然のことながら党首選挙もこちらも盛り上がりません。アメリカでは大統領選挙。日本の政治家の演説下手が本当に恥ずかしい、海外から見るならばこの人やる気があるのという人見えるのではないかと言うくらい表現べたです。しかしいくら表現が下手でもキチンとやる気を国民が出せる国家をお願いします。

民出は小手先のことを法律や小賢しいへりくつなどを並べいかにもその場限りの逃げを打っています。そうした中ですぐに問題は浮上してきます。なぜなら、ほんとに全く問題の本質を解決せずその場限りの政策ばかりをやっうています。こうしたやり方に信念を持って立ち向かって行ってくれればよいですが、そこまで思う人はあまりいません。ある意味人がクールになったのでしょうか。それとも、意見を言われる人に良識が欠けているのか判りませんが、そうした意見に惑わされると、我が国の政治も闇雲になってしまいます。原発反対でもなど新しい試みかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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需要開拓

本日ゴルフ場へ料理の打ち合わせに行きました。そこで伺った話ですが、最近はゴルフ場で結婚式の披露宴をされる方が多いと伺いました。ゴルフ場でそうした事がされるなんて考えてみたこともありませんでしたが、当地域ではそうした収容能力と、料理の供給能力を兼ね備えたところはゴルフ場しかありません。そのほかに、初盆とか法事などもゴルフ場を使う人が多くなってきたとのことです。畳の籍ではすでに座れない人が多く、いす席で座って酒席を行いたい需要にぴったりです。昔からこうした宴席を生業としているお店は、ほとんどが「いす」ではなく、最近はこうしたところは高齢者が出席されることが多いため、どうしてもいす席の希望が多いようですが、必然的にそうした場合ゴルフ場へのニーズが高まるのではないかと思います。

ニーズは開発するものではありませんが、対応することが大切です。たとえば畳の席にいすを入れることにすると、当然座ることの出来る数が減ります。しかし、そうした事を考慮してもいす席は必要なことですから、出来るなら、両方に使える机など用意することなど考えられないかと思いますが、いかにもそうした事を出来ない理由を並べたてるってんしゅのいかに多いことでしょう。必要は発明の母と言われるのですが、近時、必要は誰が解決するのかと言いたいです。設備投資に金がないとよく理由をつけられます。必要な設備投資であるなら何をおいてでもしなくてはなりません。いったい誰がするのかが問われることになるでしょう。

民主党は社会に向けて地方交付税を払うことが出来ないと言っています。予算の「いろは」はこうしたことのないよう政府は手立てをたてておくことが指導力ではないでしょうか。同時に、こうしたことになるのであれば、議員歳費を一時止めることなどあたりませでしょう。民主党のように本当に理屈ばかりでこの世を渡ってきた人種のやることらしいです。本当にこうしたことを実行する民主党であれば、日本国家のために国民の怒りであの政党をつぶすことが肝要と思います。まさに、政治家は何のために歳費をもらい活動しやすくしてもらっているか。労働組合の幹部の集まりであるため、本当にこうしたことが理解できないのでしょうが、国民への影響は大変なことにあることは必定です。こうしたところへ問責決議を出して余計に混乱させた民主党の谷垣総裁も寿命を無くしてしまいました。日本という国が世界にむけてどのような需要開拓をしていくのか。考えられることは政治が余分なところに口を出さないことが今大切なのではないでしょうか。

無軌道

しばらくブログを書かなかった。いや、かけなかったという方が正解かもしれない。暇はいっぱいあったが、世の中があまりにばからしい事ばかりやっているのには、本当に嫌気がさすと言おうか、将来をよい世にして時代へ継いでいこうなどという考えがばからしくなってしまうのです。そう言いながら、結構テレビを見ては「なっとらん」などとわめいている自分も何かちゃらんぽらんな人間だと、深い反省をしているところです。

しかし、3月11日からすでに1年以上が経過かしていますが、そこには全く何の対策も打っていない国の姿勢が赤裸々になってくるだけでしょう。そんな状態でもまだ政治の駆け引きに明け暮れて、周りの空気が読めない政治家のなんて多いことだろう。あれではどれほどよい政治が出来るのか疑わざるを得ません。首長選でも自民党はかなりな混戦模様で、一方の民主党はほとんど無風状態。現状からの脱却を議員はどのように考えているのでしょうか。自らの給与のために国民に大きな犠牲を払わせて、のんびりと構えている姿は、これから日本ががんばっていかなければならないときに、いかにも他人頼りなやり方で、他人依存型の典型的な姿でしょう。

いずれにしても、こうした人道に反したことをやり続けると言うことは、必ずどこかでそのしっぺ返しの種をまいていることでしょうから、普段からまじめにやっている人から見れば、そうしたとばっちりを受けていてはたまったものではありません。早く本道に戻り、必死にその道を歩むことこそが世の中を直す大きな要因となることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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