東京に雪が降ると

テレビでは大変なニュースで東京の雪を伝えています。地方のひがみか東京であることは本当によくニュースになるのは、それだけ影響を受ける人が多いのでしょうか。しかし、首都圏に雪が降り危なっかしい格好で歩いても出勤される方々の涙ぐましき姿には、本当に頭の下がる思いですが、見ていると雪に帯する備えが全く出来ていないので、申し訳ないですがけがも多く出るのだろうと思ってしまいます。同時に、横断歩道のペンキなど逆に氷になりやすい仕組みがそこかしこにあり、又、通る人の多さが圧雪してドンドン滑り安くなっていくようです。加えて地形上坂が多いと来ていますから、ミニゲレンデに足を踏み入れたようなものではないでしょうか。

首都圏も非常に自然災害に弱い面をもっいていますが、それは人が沢山集まりすぎた悲劇でもあります。1ねんになる3.11帰宅困難者が多くできたわけですが、そうした事が起きることはすでに予想されていたことです。何故、そうしたことに対応できないのか。簡単ですね。実践的な訓練が成されていない為なのですが、もっと言えば、口が先行して、実践が伴わない都会人の特徴が如実に表れています。一方では、地方はやはりきちんと出来るかどうかを考え動きますから、どうしてもその動きはのろいです。となると、都会より発想してから行動に移るまでに時間が掛かりますから、結果として開発系など不得意となって来ます。過日も、大正村で今後ストリートミュージックをやっていきたい提案をしましたが、jも徒の皆さんに理解できないから時期尚早と意見が沢山でました。

「エッ!大正村をはじめたときそうしたきちんとした組織があったのかい!」と、言いたかったのですが、組織がきちんとすればするほど開発系はどうしても下火になって来ます。東京もそうした意味で徐々にエネルギーを失いつつある日本の象徴ではないでしょうか。

伝える

最近はコミュニケーション技術が非常に低下してしまったようだ。最も問題の結論がいくつもあるように、又、物の見方を極力広く持って居る事が大切な現代において、最も大切なことはコミュニケーション技術が年々低下していくのではないかと思えます。例えば、喫茶店に入っても口など聞かず、漫画の本を読んでいるカップルを沢山見かけるようになりました。一体何のための喫茶店なのかと首をかしげたくなります。しかし、喫茶店に何のために時間を割いてお金をかけてはいるのでしょうか。

我々はコーヒー一杯でコミュニケーションを取るために、金と暇をあっけ手喫茶店に行っていましたが、最近は缶コーヒーが非常においしくなったのと、喫茶店の代金が小遣いを圧迫する等の理由から、そうした場所をあまり利用しなくなっています。それではコミュニケーションは何でするのかと言えば、メールという手段、フェイスブック、ツイッターなど実に様々な手段が利用されていますが、こうした手段で本当にきちんとコミュニケーションできるのでしょうか。喫茶店はフェイス to フェイスの直接対話です。相手の表情を見ながら話が出来ますが、お互い時間の都合などあって、この方法というのは最も不便さを感ずるものではないでしょうか。

しかし、そうした絆を作る為には、自らの事ばかり考えているのではなく、共に相手を尊重しながら自らの考え方を伝えていくことの積み重ねが、自分を成長させてくっれるのではないでしょうか。その局面で必死になって考え、少しでも相手に喜んでもらえる事を実践してきた我々の先輩は、今のこの局面を見てなんと思うのでしょうか。便利とは一体何でしょうか。

大正村考

何をするにしても始まりがあり、高い低いは別にして頂点があり、そして下り坂にさしかかることは世の常です。五木寛之先生の下り坂の時代という本を読んでいるとその通りだと思います。まだ読書途中なのですが、今の大正村を考えるとまさしくこの軌跡で30年を迎えようとしています。しかし、それはあくまで常道ではない、関係者の努力不足が招く軌跡であることも解ります。ことほどさように、関係している人の考え方一つで登り、下り、頂点など味わうことになるのではないかと思います。まさに、関係者の取り組みに対する志であろうかと思われます。特に、組織がどのように動いているのかを、時のトップがどのような視点から見ているのかでです。しかし、それはあくまでトップの責任のみではなく、関係している人の連帯責任であることは明白です。組織の中での自らの役割と同時に、役割と役割の狭間をどのようにカバーしながらいける度量を持てるのか。つねに、そこには人間を磨く努力をお互いする努力の出来る組織づくりが必要になります。

新年度に向けて

この頃になると新年度に向けての話が多くなります。特に、人事異動は内外共に興味のある話ですが、具体的な話はだれも出来ません。特に、人事関係担当者においてはまさに業務上の秘守義務のことですから一層話は出来ないですが、周辺は聞きたがることしきりでしょう。こうしたときどのような言葉で逃げるのか。「まだ決まってない」「そちらの担当は違いますから」などと、直接自分が関係ないような仕草が多いと思いますが、一方の聞く方もそれ以上根ほり葉ほり聞かないことが大人の世界でしょう。

日本人はこうした「暗黙の了解」という世界を持って居ましたが、最近はそうした世界が全く通じないようです。「あの時こういった」とか、「あの時決定したはずだ」など後から水掛け論になってしまうようなことが多くなり、会議録を作ることが必要になって来ました。そうした事は本当に無駄なのですが、結果そうした形がないと進んで行かない世界になっていく事は悲しいです。

議事録が有っても無くても真実はそんなに沢山有るわけではないでしょう。いつの時も真実を気ちんちんと見つめておられる人間関係が薄れて、言葉として絆という本当に大切な思い言葉が軽く用いられる時代になっています。新年度は何か希望が湧くようですが、自らが希望を持って動いていかないと、実現は出来ません。

ウィンドウズ8

セブンからエイトへ。マイクロソフトですらスマホ画面のようになるそうです。確かにタッチパネル仕様は使いやすいですが、今までそうしたシステムにならなかったのは何故でしょうか。タッチパネルそのものが効果であったことも事実ですが、やはり量産の効果と云う事は、本当に雪崩のごとく一気に変化を飲み込んで進みます。根底には使いやすさの実現があるのですが、そうした技術にチャレンジする事が誠にすごいことです。現代はやらなくてやったことに文句ばかりを言っています。まさに、社会制度の成熟というか、社会の変化に制度が追いついていないため、現実との乖離で制度の中に居る人間が制度自体を信ずることが出来なくなった社会と言うべきでしょう。

例えば、税とか社会保障とかは一目瞭然で矛盾だらけの制度に強制加入させられ、負担を迫られている企業も個人も重税感にあえいでいます。これでは将来に希望の持てる社会には決してなりません。反って制度に対する反発が強くなるばかりですが、その制度を検討することすら政治の世界では出来ません。何処の主権者がイニシアチブを取るのか等と、馬鹿なことの争いばかりに明け暮れ、真の、国というか国民のための論議は全く出来ずじまい。そうした人に高い給料を払って、国民は中流から低所得者に多くの若者は転落しています。

明日に夢の描けるところはありますか。本当にこうした質問すら出来ずらいこの頃です。本当になにが使いやすいのかを議論できる社会が一杯広がり、少しでもそうした中に参加できている実感の持てる国つくりを任せられる人は居ないのかなんて愚痴が出てしまいます。

シーズンオフ

プロ野球、プロゴルフなどは今オフシーズン。一方、ウィンタースポーツは競技の花盛り。マラソン、駅伝、スキー、スケートなど夏場に苦しい練習を過ごした来た成果が、如実に現れてきます。シーズン中の活発な動きはこのオフシーズンにどのくらい自らの基礎体力を鍛えたかに寄ると思われますが、しかし、不運にもまさかのけがに見舞われて1年をいや選手生命を失う人も居ます。こうした事に見舞われるのは、オフの間にどれだけ基礎体力を充実させてかに寄るわけですが、最近はそうした基礎体力の強化をないがしろにして、技術ばかりおっている選手が目に入ります。

高校女子バレーで古川商業を日本一にした国分先生は、徹底した基礎運動を身体にたたき込んだと言われています。そうすれば、けがも本当に少なくてすむそうです。人間日頃からの鍛え方によって、非常に運動に対する順応力が備わってくるものなのでしょうが、いずれにしても基礎を徹底して自らの身体に教え込むことは、反面、自ら都合の悪いときに簡単に逃げない自分を作ると云う事になるでしょう。まさに、自らを鍛えていく為に、本当に繰り返し苦しい基礎練習を続けていくことは、人生でも同じように嫌なことから簡単に逃れる事ばかりを考えていれば、瞬間的にパワーが必要になってくる時に、基礎体力が出せない人間になってしまうのではないでしょうか。

仕事の時でも同じ事が言えます。基礎体力を日頃鍛えておくと云う事は、自らが歩んで行く道をきちんと見据えて一歩を確実に歩むことが出来るように、自分を鍛えることが必要ではないでしょうか。やらなくても良い理由はいくつでも並べられます。しかし、それでは長い人生何のために生きてきたのかと今更になって思う昨今ですが、余計に、他人がそうした事をやらないようにと小言の多い日が続きます。

陛下の手術

心臓バイパス手術は動きを止めなくても出来ると云う事らしい。本当に医術は進歩したものです。冠動脈を接合する祭の針は、幼稚園児のまつげ位の大きさで、縫い糸は髪の毛よりも細いらしい。今回、執刀をされた先生は神の手を持つ男と言われているらしい。記者会見でも本当に物静かに話をされている、見るからに頼りになる方でした。両陛下も、きちんと挨拶をされ、皇后もお見舞いには清楚な格好をされ、日本の家族のあり方を学ばせてもらいました。

今回の手術は陛下が3月11日に間に合うのならということで、この時期に手術をお受けになられたとか。自らのお体のことはほっておいて、何度も被災地へ向かわれ、冷たい床に何度も膝をつかれ被災者とお話をされていました。今の政治家に見せてやりたい。本当に。日本人は自己の犠牲の下で、部下を奮い立たせてきました。日露戦争ででくの坊と言われた乃木大将は自分の息子を2人とも203高地で失っています。何度あの戦略が良くなかったと言われても、あの軍隊で、あの武器で、あの状況では人海戦術しかなかったのかもしれません。人を引っ張ると云う事は自らを犠牲にして、何とか突き進んでいくことが、日本人の魂を揺さぶることになるのでしょう。そこには自己犠牲という判官贔屓的なあり方が、共感を呼んでいったのでしょう。考えてみれば、掃除を指導された鍵山相談役など、自ら率先をして便器に手をドブン。日本はじめ世界にも出こうした掃除の精神が広がっていったことはまさに相談役の自己犠牲です。

平易な陛下のご回復をお祈りしながら、最も日本人らしい姿を見せて頂いた感謝と興奮に感動しています。

ひな祭り

大正村に飾ってあるおひな様を見にお客さんがチラホラ。こうした光景は春を感じさせますが、イベントを仕掛けなくては恒例という事にはなりません。そのイベントでも最も手間の居る雛飾りですが、逆に、この時期になるとそうした作業をしなくてはという地元の風物にもなります。本当によくしたものですが、そうした事の繰り返しが、お互いに自らの中に季節感を植え付けていってくれます。

しかし、合ってはならない季節感もあります。例えば、東日本大震災は3月11日、神戸大震災は1月17日。慰霊祭が行われるときは、あの時がよみがえることでしょう。私達も決して和すっれることはないのですが、日々に追われると言いながら、だんだんやることを忘れていって居ます。今度、大正村では鎮魂の一周忌としてチャリティーJAZZコンサートをひな壇の前で開催します。同じイベントでもその時々でいろいろあります。

世界の経済

世界を引っ張ってきたヨーロッパ、アメリカが大変揺らいでいます。今まで原材料費を安く買って、加工をして莫大な利益を得ていた国々。そうした仕組みが今ものの見事にひっくり返されてきました。そこでアメリカなどは金融商品に手を出してこちらもものの見事に崩壊しました。金融商品など汗を全くかかず、言ってみれば小さな努力で大きな効果ばかりをねらっているその姿は、本当に自然界に生きる人間としてあるまじき姿ではないかと思ってしまいますが、現世ではそうではないようで、そこには貧富の差がドンドンできる先進国ではないような姿を現しています。

そうした経済がドンドンと後から開発される国に及んでいき、そこには先進国と言われる国の姿が見苦しく見え、後進国も何の目標で生きているのか解らないと思います。そこには、先進国が当然にあるべき姿を見せながら、進んで行くことが世界を引っ張る国の役割なのではないでしょうか。物質的な欲求もさることながら、精神的な自然界と協調して生きていける気持を大切に出来る国で会って欲しいです。まさに、ブータンですが、文明が入り込むとドンドンとそうした物質欲が人の気持ちを崩壊していき、我欲の強い人間世界を作り上げてしまうのですね。

変革

時と共に変革していくことは大切なのですが、解っていてもそうした事がなかなか出来ていかないのはどうしてなのでしょうか。変革する部分と変革してはいけない部分。かっこよく言えば不易流行かな。人間は科学の進歩を信じ、原子力まで地球上に登場させてきました。しかし、今その原子力によって人間は生活を破壊されています。これが本当の進歩でしょうか。そして、その原子力を巡って東電の経営に政府と民間で主権争いが起きているのですが、元は国は結果として経産省の権益の拡大を狙っているものであり、東電は現在の経営権を死守して現体制の維持を電力料金の値上げをしようとしています。

どちらも根底には自己中的な考えが横たわっているのですから、周りから見ていると実にくだらない。なぜならば、もっと大胆な変革をしなくてはいけない時なのに未だにこの程度のことしか考えられないのかと怒りすら覚える始末。それは、それぞれの組織に求心力がなくなっている結果と思います。何故かと言えば、お互いに主張していることが自己中すぎ、まさにそうした事をあまりにも前面に出しすぎている結果と国民から丸見えになっているからではないでしょうか。しかし、そうした事を関係者は絶対口に出来ない官僚制度が役人の世界はもちろん、東電内部にも横たわっているのでしょう。それは、東電関連への役人の天下りの横行が未だに続いているのではないでしょうか。

我が大正村も大正百年祭が終わりました。このままの大正村では数年で運営資金が枯渇してしまうのではないでしょうか。実に厳しいところに来ていますが、その厳しさを感じて見えない役員の方も多いのではないでしょうか。変化をするためには激論をしなくてはいけないと思います。その素地作りこそが執行部の役割なのでしょうが、どうしても「和をもって尊ぶ」式になって、暗示な方向を選んでいるのでしょう。出来たら激論なしでよりよい方向が見つかれば良いのですが、そんな都合の良いわけにはなかなかいきません。

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