しばらくぶり

右目の白内障と併せて硝子体の手術をしました。ブログの書き込みが出来ませんでしたが結構考える事はいろいろありました。とりわけ、大阪維新の会の大勝利は時代の閉塞性の大きな反映でした。大衆性は大正時代に端を発してデモクラシーから民主主義に推移するわけですが、特に現在の大衆性はスピードがあります。ブログやフェイスブックなどが大きな情報発信力となっているようです。同時に、既成組織の限界をこれほど露呈した選挙もないのではないでしょうか。日本の政党組織がこぞって応援した平松現市長の落選は以前では考えられない組織力の限界でしょうか。

これによって大きく時代が動くことにはならないとお思いますが、大きな大衆の意見の反映であると思います。特に、あまり言われた居ない事ですが、大阪市の今回の投票率が非常に高かくての結果ですから、その期待は大変高いものであると思います。国会では相反している政党がくんでも、本気に日本を変えてくれと思っている集団の力には勝つことは出来ない結果が出ました。無党派は是々非々の結果の反映でもあります。日本の選挙もより一層の様変わりになって来ますが、パホーマンス政治がはびこることは勘弁して欲しいです。

東南アジア

取り越し苦労で終われば良いのですが、南沙諸島近辺に何かきな臭い雰囲気がにわかに漂いはじめています。中国とアメリカの海底資源を狙った動きは、徐々に実力行使がいつでも出来る段階に入っているかのように、アメリカはオーストラリアへの派兵を強化し、中国は海軍軍備の強化をして、両大国の狭間に外交下手の日本は揺り動かされています。

時あたかも、ブータンの国王夫妻が日本を訪問されています。かの国も大変な小国ですが、東日本大震災の時は8000万円を献金して、日本の復興を祈っていただいて、今回の訪問にも僧侶を帯同され、福島で祈りを捧げられました。国民の幸福度NO1の国です。これからブータンも近代化に揺れていくと思われますが、しかし、本当によくのない、人間の審議を重んずる国のトップにふさわしい国王の姿に、何かホッとするものを感ぜられました。

中国も穏やかな国として長い間過ごしてきたようですが、近代化という名の下で一揆に国が変わってしまいました。逆に、我が国は穏やかさを求めて動く人が多くなってきたような気がしますが、しかし、そこには過去のつけが存在しています。そうしたものを如何に精算して穏やかな国に戻れるのか。今、世界が幸福の価値観で揺れた居るのでしょうか。

竹久夢二

本日ロマン館で行われている竹久夢二展を見せてもらう機会がありました。大きな作品は少なかったのは同時開催で、中山道美術館でも同じ展示が成されているからだそうです。小作品ではそれなりに独特な味わいが感ぜられました。大正時代にあの画風が世の中に評価されたことは不思議に思えます。それはやはり剛の明治から柔の大正の象徴かもしれないですが、曲線の使い方が実に微妙に心に響く絵です。そうした描き方が挿入絵としての価値を高めているのでしょうか。

代表的な女性の絵などは、独特の腰つきなどに非常な色気を感じさせてくれます。そして、着ものの柄などには大正時代特有の大柄が描かれて大正の特徴が出ています。色彩はそれほど多色ではないのですが、下地とのコントラストが絶妙です。言ってみれば多色水彩画の代表作かもしれないです。

折角の機会でしたからもう少しゆっくり見たかったですが、残念ながら時間の都合もあって通り一遍の見方しか出来ませんでしたが、大正時代エログロナンセンスの反映された社会風潮は、規制された社会からの自由への脱却であり、大正デモクラシーそのものであったのかもしれません。現代も、高度経済成長が一段落してしまった我が国にあって、環境保護やゆとりの追求など求める人が多くなっています。大正100年歴史は輪廻を繰り返して居るのでしょうか。

冬の到来

日中は結構暖かい日でしたが、朝晩はしっかり冷え込んで来ました。冬の到来!当地では3月にかけて冬眠の時が来ます。気温差がはっきり出るのは標高が高いことがあげられます。海抜500メートル。100メートルで気温差は1度違うなどと習った記憶がありますが、このあたりにいますともっと気温差があるように感じます。特に、雨と雪の差は本当に驚くばかり。車で瑞浪へ行くときに実感されることが良くあります。自然の力は実に素直に人間界に訪れてきます。

人間はそうした自然の世界から自分の都合の良いようにあくせくとします。都合が悪くなると文句や果ては愚痴を言って、素直さに築くことはありません。しかも、悪いのは自分でなくて周りのせいにしたがりますから、余計に始末が悪くなるのですが、自然の中で暮らしている生物は、ひょっとしたら人間より生きる力が強いかもしれないですね。寒さに凍えて考える事はこんな事ですか。

大正百年推進協議会

今年大正百年を祝う目的で百年祭を恵那市上げて催しました。しかし、大変不幸な東日本大震災に見舞われお祝い等という事が不謹慎と、いくつかのイベントは中止せざるを得ませんでした。5月のおんさい祭りから実質百年祭の冠をかぶせたイベントをはじめて来たわけですが、正直秋にはイベントが集中し、本当に疲れがにじみ出た状態です。しかし、そうした中でも若い方が百年祭のみならず、町作りの活動で結構盛り上がってくれています。本当にありがたい話ですが、来年以降を考えると、大正村の経営状態も含めこのままでは進めることは出来ないとおもいます。

社会が大きく変化しています。60才から年金を頂いてもその金額では暮らしていけません。のんびり大正村ボランティアで時間が過ごせるなんてとんでもありませんという時代背景です。大正村活動をされる方達も高齢化が進み、チャレンジが億劫になっています。それは今までの大正村にあったパワーが不足し始め、町作りのエネルギーがだんだんしぼんできているのです。そうなると街角活性の魅力は急速にしぼんでいます。大正村と言っても本当に大正を代表する建物資料などない地域ですから、観光客の誘致などは大変になって来ます。言ってみれば苦肉の策での大正百年です。

そして、百年もスケジュール上は閉幕を迎えます。とりあえず推進協議会という組織をどうするかを昨日会議されました。協議会の定款上2011年での解散と言うことですが、今後をどのような運びをするのかが非常に大切なところになって来ます。最も必要なことは世代交代。そして、新しい時代における大正村の役割の明確化、こうした問題を如何に地域計画で推進出来るのかが問題です。人が動くのに必要であれば組織を作ることも必要でしょう。どうも最近そうした論議より、イベントに追われてしまっているようです。

 

言葉の責任

野田首相はTPPに参加することについて記者会見ではファジーさを残した会見でした。ご本人としては参加することの協議という表現が事実かも知れませんが、賛否両論の中ではいずれか自己都合の良い方へ解釈してしまうのです。そこに、内閣支持率の急降下の原因があるのかもしれません。しかし、TPPで一番関税撤廃を心配している農業者は、このまま参加協議となれば、立場上参加させられると言って居ます。おそらくはそうなるとは思いますが、そこで、日本の食糧自給率を考えた政治が出来ないものでしょうか。

人は言葉を信じます。その言葉がファジーであっても、出来たら自分の都合の良いような方向で理解しようとします。そこに言葉を使う人間の大変微妙なところがあります。イソップ童話にオオカミ少年の物語があります。いつも嘘ばかり言っていると最後には誰も信用しなくなる格言です。言葉は人間性ですが、往々にして言葉だけで世を渡ろうとする人がこの頃如何に多いか。首相も帰ってきてからが地獄でしょう。あげくに消費税上げまで約束してきています。

我が国はこうしたTPPも大切ですが、内需喚起はじめやらなければならないことが一杯有ります。アメリカと中国の狭間で身動きできなくなっている日本。何とかこうした言葉位責任を持って行動してくれないかと希望します。

大正百年の意味

改めて私達が大正百年を祝うことを考えてみました。理由は様々有りますが、きちんと歴史を振り返ることが如何に大切かが、浮き彫りにされてきます。同時に、輪廻転生は100年を一つのサイクルで回転させているのではないかと思える位、社会情勢が大正時代とよく似ているのです。短かった大正は、明治と比べると不安定な時代に見えます。しかし、そうした中で数々の西洋の食事や音楽が生活の中に入り込んできた時代でもあります。今なお、日本文化としてすでに定着したことが多いコロッケ、カレー、ハヤシなどの食文化、大正12年にプロのジャズバンドが神戸に生まれたと言うことですが、東京で関東大震災が起き関西へ流れたメンバーが神戸に集まり結成されたとか。当時の社会情勢が色濃く現在の文化への影響を表しています。

人間の生活は一朝一夕には出来ません。自然の気候、人の生活などが重なってそこにベストな生き方ができあがり、その生き方に必要なものが生まれてきます。そうした社会を必死に生きた人の歩みをきちんと検証することは、本当にこれからの我が国の歩みにちって必要です。特に、TPP問題などはアメリカの国外国外干渉になる可能性もあります。しかし、そうだからと言ってその門戸を閉じることはいかがかと。日本はなにを目指して建国を続けるのかを考える機会でもあります。もっと激論を。

TPPについて

日本の代議士は自分の一票が惜しくてたまらないのか。TPPについて猛反対している姿はいかにも国の将来を考えていないだだっ子にしか見えません。確かに農業者からいえばこの状態で関税の撤廃は大変なことでしょうが、しかし、輸出産業から云えばなにを甘えているのだと言われかねません。特に、時あたかも円高の激震中でも、乾いたタオルを絞るごとくの努力をしています。そうした事が出来ないようになって来たら、当然国を捨てるしか有りません。

農業も自民党の集票マシンとなり、農協の犠牲となりとことん食い物にされてきました。しかし、いつまでもそうした状況に置かれていればいつの日か日本から農業はなくなります。それが証拠に後継者が居ないことは、将来の見通しがないためではないかと思います。生産現場は実に大変です。そして、自然にも大きく左右されます。そうした事に強く打ち勝っていく事が、日本の農業の自立ではないかと思います。

先進国の中で日本は食糧自給率が一番低く、天然の恵みがあるにもかかわらずそうした恩恵に浴せない不幸な国民です。この際、TPPに参加して徹底して国の将来を語るときではないかと思います。そうした中から我が国の将来が見えてくる気がします。

写真コンテスト

大勝百年祭のイベントとして写真コンテストを開催しました。11月20日入選作の発表のため、今日予備選考を行いました。想像した以上の応募点数にまず驚きました。そして、本当に甲乙つけがたい作品ばかりに選考に大変手こずりました。写真には自分の主張するフレームワークが必要です。そして、ピントはもちろん露出なども作用してくる非常に神経質なものと云うことが改めて解りました。審査と云うより、フレームワークの勉強に反ってなったと今思っています。

同時に、百年祭を振り返ることが出来ました。特に、東日本大震災があって、春先のイベントはすべて中止としました。しかし、こうして歳時記のごとくイベントの記録を見さてもらえる事が出来る写真コンテストも、本当にすばらしいイベントなことが改めて浮かんでくるのです。

同時に、応募される方達のシャッターチャンスは本当に多種多様であり、とられた方の努力が伝わってくる作品ばかりなので、こちらもうかつには選考できませんでした。流れていく時間の断面がそこに事実として写されていきますから、当然とる方の感性が物言うことに変わりはないですが、その中でどの票な主張を画面に焼き付けるかの違いは相当なフレームワークの差となるのでしょう。シャッターチャンスを待ってじっとカメラを構えて見えて方々の努力に改めて感心し、作品から感動を頂きました。

遠来の友の話

ビートルズが大好きだったから歌の道に入った。いつかは必ずリバプールへ行くと。そして、ビートルズが出演していた喫茶店から今回出演のお呼びがかかった。本当にすばらしい話です。夢をあきらめない。その喫茶店の入り口の写真を携帯の待ち受けにしていたそうです。いつかはあそこのステージに立つんだと念を込めて。もう何年になるか。彼の夢が叶った事は本当に我がことのようにうれしいです。なぜなら彼の顔は輝きを増し、自信すらみなぎっていました。

私達は出来ない理由はいくつでも挙げることは出来ます。やらなくても良い理由のほうが早く浮かんできませんか。それは、結果としてあきらめることに馴れてしまった自分の人生を歩んでいるのではないでしょうか。周りには成功者は何人も見えますが、私とは全く違う人だからと自分が自分に思い込ませているのではないでしょうか。人はそんなに違いません。24時間をどのように生きるか。まさに貴重な時間の過ごし方を身につけている人は、自然と人生に前向きになっていけるのではないでしょうか。それは、夢を持てば本当にやることが沢山出来るのですが、自分一人ではやりきれないから、仲間に手伝ってもらう姿勢が生まれてくるのではないでしょうか。その為には、少しでも相手に理解してもらう努力が必要となりますが、ここからが問題です。自分が相手に理解してもらえないと、自分の努力不足をさておいて、相手の悪口を言い始める人が如何に多いことか。

自らの努力はいくらしても足ることはありません。良く我足るを知るという諺がありますが、それは必死の努力をした結果のことであるのではないでしょうか。こうしたお話を聞くと本当に歯を食いしばって生きている友の姿が神々しく見えます。

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