息の長い支援

昨日は楽天が今シーズン始めて地元で公式戦をおこない、貧打戦でありながらも見事勝利を東北にもたらしました。ベガルタ仙台も地元戦で今まで勝てなかった浦和レッズから初勝利です。どちらも、グランドとスタンドが一体となった「負けないぞ!」と、強い気持ちが前に出た試合だったそうです。そして、ボランティアに参加される皆さんも、この連休を利用されてか本当に沢山の方の参加で、受け入れ側が混乱を予想してボランティアの参加制限をしなくてはならないくらいとのこと。

実に、もたついている政治とは反対に、国民はすでに前に向けて一生懸命進んで行っています。国会では、野党党首に入閣要請を電話で済まそうとした無礼な時の首相が、野党から痛烈な批判を浴びてお詫びをするような、不毛な論議の繰り返し。何か違うだろうとと国民は思っていることでしょうが、その場を口だけで抜けれればそれでよいような、パホーマンス政治にはうんざりしているのは私だけでしょうか。

国の大災難に対して、本当に国民を、国を守ろうとする気持ちが全く伝わってこない政治家の姿勢は、国民に強烈に政治不信を抱かせることでしょうが、日本国民も幾たびかの国難をくぐり抜けてきている民族です。今回も、こうした事情が広く国民に理解されたことですから、少なくとも国を憂える人たちが生まれてくると思います。日本民族の優秀さはコツコツと勤勉に働くことであります。しかも、謙譲の美徳を大切にして。がんばろう日本。がんばって下さい若き政治家達。そして、息長く被災地の支援をしていこうではないですか。被災地どころではなく、日本全体が今回の災害によって大きな不況に包まれますから、国全体で我が国の未来を考えるまさに政治が今大切な役を利ではないかと思います。

鳩山さん引っ込め

いったん引っ込んだはずの元首相鳩山さん。彼は菅首相にバトンタッチして日本の指導者の座を去った人ですが、またぞろ日本の大切な時に動こうとしています。本当に何様のつもりでしょうか。自ら首相の座を辞任しながら、今度は小沢体制と近づいてみたり、まさに自ら変幻自在の活躍をしているかのような思い上がりも甚だしいです。

いま、日本は遺体を前にしてお葬式も上がられない境遇の人がおみえになる。実に大変な状態で有るにもかかわらず政争ばかりを繰り返して居ます。ここで男を見せてくれると思っていた自民党も、民主党の勢力が弱いと見るや反転攻勢のつもりなのか、大同団結することもなく、災害復興には大変マイナスな状況ではないかとお思います。結果、日本の弱さはこの状況に凝縮されるごとく、リーダーシップの欠如したコントロールのとれない集権国家に成り下がってしまったのですね。

それぞれの使命を考えてみてください。一体何をしなくてはならないのかは、今の日本は誰が見ても判るはず。昨日宮城で被災された方の家に咲いていた水仙の花を、皇后陛下に献上された女性が見えました。陛下は自衛隊のヘリで帰郷された時、本当に大切にその水仙を持って見えました。被災者のお気持ちに温かく応える強いお気持ちが伝わってきます。政治家の皆さん。日頃からすんでいる水は清水か何か判りませんが、生きて行かなくてはならないことにかけては人間皆同じです。いつまでも個利個略野中での政治を続けることなく、一人間の使命にもとった行動をお願いします。

いつもと違う

今日は地元のお宝発見プロジェクト会議で、岐阜から指導の先生と会議というより先生の考えを聞かせていただきました。先生はすでに当地をつぶさに見て回っておられるので、鋭いご指摘も頂いていますが、今日は逆に先生のご提案でも有りますが、結構早々に取り組みの可能なお話も出まして、現地を候補地として見てもらいました。

そこは山間に農業用ため池があり、その周辺を公園化して整備してある場所です。地元の人間はそうした場所があることは知っているのですが、どのような利用が出来るのかについてはほとんど考えたことはありません。他から人が来て「良いとこですね」と言われれば、「良いとこです」で、終わっているだけでした。逆に、先生からしてみれば、こうした良いところを何故もっと活かさず「人が来てくれない」と嘆いてばかりいるのかなと云う事です。

宝の持ち腐れとはこのことでしょう。過去の因習を引っ張っているとはこのことでしょう。考えてみれば大正村というブランドは何故出来てきたのか。まさに住民が主役の地域興しのシンボルとして、日本にこの小さな町がしれ渡ったのでした。そうしたストリーを描けなくなったのは何であるかと言えば、大正村というブランドにおんぶしてきた自分たちがそこにいたのでしょう。大正にこだわる事はある面必要ですが、来ていただいた方から見れば「ナ~ンダこれだけ」の声が聞こえてきそうな・・・。人が住んでいく事は単なる一面がよろしくだけでなく、広く、しかし、一つ事をきちんと成しながら進んで行く事でした。そうした積み上げなくして何事もなしえない事を認識させてもらった今日でした。

キャンディーズ

若き日、地域の友人と野球チームを作っていました。メンバーの誰もがファンだったキャンディーズの名前をつけていました。あれからもう30年以上たつのかな。なくなったスーさんは20年もの長きをガンと戦い、ついには55歳で力尽きて帰らぬ人となられました。野球仲間で勝手に「おまえ誰が好き」などと言いながら、草野球の練習をしていた頃が彷彿とよみがえってきます。青春の思い出の一コマ。今日、葬儀場へ参列したファンも同じ年代の人が多く、人生の大きな役割を終えようとしている人たちの青春の感傷がにじんでいます。

ほとんどの人があの明るいスーさんがガンだなんて知らなかったみたいでした。はまり役「古波蔵家の妻」では、あまりに美しすぎるけれど、従順な沖縄の奥さん役をこなしていて、キャンディーズ時代からは想像が付かない境地も見せてもらいました。人間、がんばれば本当にがんばれるものだとも教えられ、大きな勇気をもらいました。あまりにも若い死には胸が痛みますが、死期がちかずいたにもかかわらず、東日本の犠牲者や被災者のことで自らの胸を痛め、力の限り病床から語ったテープが葬儀で流されたそうです。心から優しい「母」でも有ったのですね。

時代が変わる。まさにこうしたことの積み重ねでしょうか。

地方に権限の委譲を

民主党のマニフェストには、確か地方分権推進とあったと記憶しますが、今回の震災でそうした姿勢が民主党には全く無いことも暴露されました。復興に向けても会議うぃいっぱいつくり、あたかも広く民意を取り入れるかのパフォーマンスですが、実のところ大変今回広い範囲の被災地なので、各県の首長の考え方すら事前調整できない状態です。ともかく今、何をしなくてはいけないのか?被災地の非難されている方々の生活を最優先しなくてはいけない時です。やることは実に簡単で、衣、食、住の充足です。そのために必要なものを地方の権限を拡大して、早く揃えられるよう国が協力することが先決でしょう。税金をとか、国債をとかの論議は必要であることですが、まず義援金をどう被災者のために使っていくかを実行することと、とりあえず復興債の発行、少々のインフレは覚悟した通貨供給を増やすことではないですか。そして、今こそ何度も言っていますが政治が国民のために出来る全てのことを、夜も寝ずにがんばってやることではないですか。

東電の被災者の皆さんは、緊急避難地域なんて決められてしまったら、その時から収入が途切れるわけです。政治家、公務員は給料が出ています。そうした違いを見に染み込ませて全てのことに迅速な対応が出来利用することが今必要です。いま、何が必要かがわからなければすぐに行動は出来ませんが、もう被災から1ヶ月以上経っています。当然現場からの要望は沢山出ていると思いますが、本当に対応が遅い。日本の政治もいい加減個理個略をすてて下さい。そして大胆に地方編歩分権を果たして下さい。

一日雨

降らなくては困るけれど、あまり降るのもうっとうしい雨や雪。自分の身勝手さ丸出し。

今日は春先には珍しく大雨となり、この雨が東北の被災地にも降りそそぐ事となると本当に大変かと思いますが、しかし、被災地では1ヶ月過ぎて自分たちでもふるさとをよみがえらそうと、地変力強い足音が聞こえてきます。本当に身一つになってしまった絶望の淵から、小さなちいさな光を見つけ、そして前に少しでも進んでいこうとする姿を、私たちは応援して行かなくてはいけませんが、私たちが逆に励まされることが多く、ずいぶん勇気をもらってきました。

被災地でのインタビューには、必ず「有り難い」と、苦しい中でも感謝の言葉で結んであります。自分たちが普段気づいていない見過ごしてしまっていることでも、そうして感性高く受け止めてもらえると云うことは、真の人間としての生き様がそこにあるのだと思えます。これからの時代には、こうした感性の高い人を育てる必要があります。元々学校教育とはそうした集団のなかで自らがどう生きるかを学ぶことにあるのですが、何故か、知識の習得のみが学校教育の目的となってしまったように、資本主義も、単に自分さえ設ければそれで良いという世界になってしまって、社会という集団が崩れてしまいました。しかし、今後はそうしたことに対しての反省が大きく出てきます。そうして、個人主義の人間は社会からスピンアウトされていくことになるでしょう。まさに、規則ではないけれども、自己規制も中での集団生活の時代となってくると思います。

指導者の責任

世間には評論家は一杯お見えになります。評論家は少しでも知識があれば、あたかも虚飾して結果を口だけでさもありなんと表現することが上手な人。こうしてみると、東電被災者の元にやっと慰問に出かけた首相など、まさに評論家の定義にぴったりしませんか。被災者のもとをやっと尋ねて時の指導者が「私たちも懸命にやっていますから」としか答えられない情けなさ。事故直後東電本社に乗り込んで、社員を怒鳴り散らしたのもまさに小人のやることです。

今、日本の指導者はこうした評論家の言葉に国民が傾注して、政権の交代を実現させてしまった結果。そして今回の地震に鮮明にその人間性までさらけ出した格好になりました。それほど以前の自民党がひどかったとも言えるのですが、ここで、国民は政治不信で投票放棄などしないように、次の時代を見据えた行動は何かを考え実行する時が来たと思って欲しいです。

少しでも自分に出来る事を実践する。その力の一つは小さいけれど、集まれば鰯の大群の如く大きな力になるのです。全てが必ずしも同じ方向を向かなくても、ある程度の合意をしながら歩んでいく民主主義。他から見れば何か脆弱に見えルかもしれないですが、その歩みは互いに励まし合える、力強い姿に変わっていくと思います。そこに、規則の強い組織などは存在しなく○ような気がしますが、そこまで指導者が指導できるか技量に掛かります。

大正百年祭のぼり

昨日大正村駐車場に地域の企業の協賛で、「伝えよう 大正百年の風」というのぼりが立ちました。よく「歴史は繰り返す」と言われます。確かに百年のサイクルで見ると、当時はとんでもない夢のようなことが現実になっていたり、逆に、当時あったことが再び現実に起こったりしています。人間の歩んだ姿がそこには歴史という形で投影されているのですが、ほとんどの場合過去に起こったことは少なからず時代を反映した、当時と全く同じ事としては起こっていません。そこが、歴史を忘れがちになる所かもしれませんが、今回の東電の津波予測にしても、大変甘いと今更言っても被害に遭われた人たちは、現実自分の生活が音を立てて崩れて行っている状況です。しかも、100年のスパンでは図りきれない規模の津波であるのですが、しかし、以前にはもっと大津波が東北地方を襲っている事実が存在していました。

歴史をひもとくきっかけはたくさんあるかと思います。例えば以前名古屋市美術館でみた、「私はこうしてゴッホになった」展。その中でゴッホの現在の代表的な絵は、大きく日本の代表的芸術である版画に影響されているのです。大胆な構図、明敏な色彩など成る程並べて見せてもらうとはっきりわかります。

今回、大正村が仕掛けた大正百年祭ののぼりも、強く視覚を奪われるデザインで、モチーフは大相撲ののぼりと云うことですが、少しでも多くの皆さんの目にとまって、是非、日本が明治から昭和を駆け抜けた歴史の短くはあった大正ですが、その現実に触れてもらって特にこうなった我が国の未来を考え語ってもらえるような地になっていけばと思っています。

寒気

考えてみれば周りの気温が上がった中に低温な気流が流れ込めば、温度差から見て気圧の谷はより深くなりやすくなります。となれば気流はより不安定になるわけで、これからそうした気象現象が出現しやすくなる季節です。昨日は、土岐市でも「あられ」が降ったそうですから、東北ではさぞ荒れた天気になると心配していましたが、案の定テレビでは時たま雪がふる天候とか。

被災地から帰ってきた恵那市観光協会のメンバーが、昨日市長に報告している記事が出ていました。本当にご苦労なことです。今日は、日本を美しくする会からメーリングリストで、中部ブロック長の竹中さんを中心としたがれき撤去支援隊の募集がアップされていました。だんだんと支援の輪が広がっていっています。しかも、単なるパフォーマンスでなく地元にジックリ泊まり込んで、共に活動する方式の支援になってきたことに心から感謝しています。

義援金を出すことも大変。支援物資を供給することも大変。現地に赴いて支援することも大変です。我が身を犠牲にしつつ他利に生きる事が、日本は古来から武士道として尊ばれてきました。そうした気持ちがこうした中で再び心によみがえってきています。本日政党交付金の八〇億円が拠出されるそうです。せめて政治家の口から一言でも一割くらいは災害復興にと言ってもらいたいですね。国は消費税の値上げを考えているということですが、まずは徹底した無駄を省くことから始めるべきでしょう。今、まさに徹底した官僚体質が政治を引きずっている気がしてなりません。

将来を思うと国難の中で、職業からの違いで温度差を持っている人間が、この国を動かそうとしていることに、本当に大きな寒気を感じます。国内に竜巻が起きなければいいのですが。

町の景観

今日は午後から町中を歩いて、残したい建物や改修したい建物など各自の意見が意見を持ち寄って、街角景観策定準備会を開催しました。何度も歩いているつもりの街角。しかし、毎回異なる感じの風景。それは自分の心のあり方なのかという気がします。

晴、曇、雨の時、町を見る自分の視点のその都度の違い。そして、そこで出会った人によって話の内容も異なるので、当然自分の心も常に同じであるはずはありません。街角の景色はこうした田舎ですから大きく変わることはないのですが、残念なことに、ある日突然建物が壊されて、空き地になっていたり、駐車場になっていたりすると町の景観は一気にテンションが下がってしまいますが、他人様の財産ですから、とやかく他人が言えることではありませんので、余計にいらつく場面もあります。

町の景観とはいったいなんですか。結果としてはその地の歴史文化の伝承であるのでしょう。そこにある現在の景色が現在であるのです。語りはしない建物や、樹木や、時に用水の側壁の痕跡などジックリ見ていると、何かこちらに語りかけて来ているようにも思えます。

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