自衛隊、自治体職員・・・

テレビで自衛隊や自治体職員、医師等の皆さんが自らの被災を顧みず懸命に被災者の皆さんのために働いて見える姿を拝するたび、日本もまだ捨てたものではないと逆に勇気を頂くこの頃です。今朝、自衛隊員の方が津波のあった日の数日前に新築された家を流され、奥さんと2ヶ月の赤ちゃんも行方不明と言って見えましたが、しかし、必死になって救援作業に没頭されて見えました。自治体職員の方でも自宅は流されてしましていますが、一度も家に帰っていなくて、家族とも出会っていないとか。地域医療を支えて見える医師も、家庭を犠牲にしてほとんど不眠不休で活躍されているお話など伺うと、自分が今こうしてのんびりしていて本当に良いものかと、自責の念に駆られます。イオン石巻店では津波があった日から2階店舗を開放して避難所として提供しながら、昨日一階食料品フロアーの開店にこぎ着けたと云う事です。

いずれも普段の職業をされているわけですが、そこは大変事情が違って、いち早く自分の出来る範囲ですが、少しでも皆さんのお役に立てるように自己犠牲の中で動いて見える事に大変熱い感動を覚えるものです。美談とは意識してやるものではなく、陰徳を積むために懸命な努力を積み重ねられることです。今、日本人が本当に忘れてしまった自己犠牲的精神は、決して長く続くものではありませんが、しかし、こうした緊急時などになかなか発揮できることではありません。防災無線のマイクを持ったままなくなった方、自宅介護の患者さんと共になくなった方等、本当に多くの尊い命が一瞬にして奪われた不幸すぎる災害に、改めて哀悼の意を捧げたく存じます。

そして、がんばろう日本の意を添えて、今後来る日本の沈没に改めて立ち向かう決意をかみしめたいと思います。、

知らなかった

当地で現役を引退したSLーC12機関車が明智小学校グランドに展示してあります。最近、明智町明智鉄道協力会から、現在地から明智駅に展示場所を変えてはどうかとの盛り上がりがあって、本日SL懇談会が開催されました。その中で、SLの保存に尽力されている明智鉄友会の代表小川さんからお伺いした話です。

小学校行事の入学式、運動会前の年2回国鉄OBで作って見える会で、C12を磨いてお見えになるそうです。当地の機関車は現役そのままに展示されていて、ペイキなどを使ってさび止めをしてないため、毎回のメンテナンスが大変ですが、全国にある展示車両の中でも存在価値の高い車両とのことです。昨年の小学校での運動会には汽笛を鳴らして皆さんに聞かされたそうで、大変皆さん喜んでもらえたという話です。

SLと聞くと非常にノスタルジックで、何かものすごい力強さを感じさせてもらえます。黒い煙を吐いて走る姿を皆さんに見てもらいたいのですが、残念ながら大変長い期間展示されているだけでしたので、動かすについてはハードルの高い問題がいくつもあります。小学校と明智駅は1キロ位距離があります。観光客に見てもらうにはちょっと遠い感じですから、明智駅へ持ってきて大正村観光の目玉にしてはどうかの考えも理解出来なくはありません。しかし、事業化と云う事になれば、費用対効果を考えたところ今は?ではありますが、住民の今後の盛り上がりを期待して会を終えました。本格保存を心がけた鉄友会の皆さんの熱心さは本当に心を打たれました。

目標を高める

鍵山相談役のお話です。人間は目標に到達出来なくなると、その目標を下方修正しがちですが、私は常に目標が障害の大きさによって見えなくならないように、上方修正を続けてきましたと言っておられました。かといって、がむしゃらに人を犠牲にして商売を大きくされてきたわけではなく、逆に、債権者会議に出席して、あまりな債権者の罵詈雑言から倒産された方の債権を肩代わりをされ、膨大な簿外手形(帳面に記載されていない支払手形)に苦しめられたこともあったそうです。

人は生きていく中で何かの目標は必要です。その目標を達成するために懸命になって動いて生きている姿が、周りからの評価につながっていくと思うし、当然自分自身の生きる達成感にもなっていくのではないでしょうか。その目標をいとも簡単に達成できるレベルにして、自己満足の繰り返しをしている人をこの頃多く見受けます。それでも着実に進んでいくための立派な手段ですが、小さな目標に達成したことに満足してしまい、それ以上の目標を定めなかったりするのではあまりにもお粗末ではないでしょうか。

例えば、民主党は政権交代を立派にされました。政権交代という目標クリアーに酔ってしまい、党内抗争に明け暮れて、あげくが今回の東日本大震災でのリーダーシップのなさを暴露するに至っています。国民の迷惑はいかばかりか考えてもいない。あげく、こうした大惨事のさなかでも、自党のマニフェスト議論が党内で取りざたされて居ると聞き、実に馬鹿らしく、そんな暇があったら被災地へいってがれき片付けのお手伝いでもして欲しいと思います。明治維新から日本は世界に追いつけ追い越せと、坂の上のいちだの雲を国全体で追いかけ、世界の激流の中を生き抜いてきました。しかし、今般の原発事故のように、一生懸命命を賭して事故を防ごうとしている人と、傍らで評論家のように東電の社員は社会責任も感じていない。国会議員も、300万の議員歳費返上で震災を切り抜けようなどと今頃言っている始末。被災者はその日食べるものもない状態から、今はこの先どうなるのかと。

これほど同じ国で人の心がばらばらでは、日本の将来は実に暗澹としているのではないですか。日本が一つになって震災から立ち直るには、新しい若いしがらみのない世代の台頭が必要です。国会議員、官僚、企業の若者よ高い目標を掲げ、寝食も忘れるほどに今こそがむしゃらに動いてください。必ずそこには道が開けてきます。そして日本の未来も開けてきます。

いい加減にしろ!東電

大企業の身勝手さをさらけ出している東電。企業の存続危機に際しても、自らの汗を流すことなく危機管理全て下請けにやらせて、本当にこのまま東電という会社が存続できるのかどうか。経営者の社会責任などはほとんど感じていないやり方に、今後当然出てくる問題として東電の再建資金と、電力供給の社会責任の相関関係が取りざたされてくるのではないでしょうか。

社会責任を背景に、電力会社のみならず横柄な姿勢で会社運営をして、実は我が身をかばい定年まで。以降は関連下請けに天下り。官業界そのものの構造がこうした民でも数多く見受けられます。必然的に高原価体質の会社運営は、給料の上がらない庶民に高価格という跳ね返り。そうした構造を押さえるために、アウトソーシングと称して安い経費で自分たちの仕事の汗をかく部分をやらせ、濡れ手に泡の部分をかすめ取る。こうした構造が今回図らずも国民の前にさらけ出された東電体質。

至る所にこうした体質がはびこってしまった日本。『大きな努力で小さな効果』の積み重ねで勤勉に働いてきた優秀な技術国日本。いつの間にか「小さな努力で大きな効果」の出来る技術が重宝され、そうして金儲けを目的とした人間の出現に、今回原発事故は神が与えた警示(警告)なのではないでしょうか。まじめに東電は取り組んで、早く善良な住民の安泰を図る姿勢を示しなさい。津波が幾ら高くても、今回の事故以降の処置は決して国民から理解されるものではありませんゾ!

人事異動

この数日は市役所の人事異動があります。長くお世話になっている方の移動があると、今後は大丈夫かと不安になる時もありますが、しかし、さすがは仕事人ですから少しの期間たてばきちんと仕事をしてくれるようになります。当たり前の事と言えばそうですが、さすがにプロはプロの味ですね。その間、担当者は非常な苦労をして仕事を覚えてくるわけですが、移動があるたびにそうした緊張が発生することと、ある程度幅広く業務対応の出来る多機能職を身につけるために必要なのが人事移動なのでしょう。

逆に、地域の区長など1年任期ですと、継続して従来の仕組みの変更をすることなど少しも考えたりは出来ないですね。そうした場所では新しく変革などちっとやそっとの覚悟ではとても出来ない事が多く、いつまでたっても、当事者が変だと思っていっても、アッという間に過ぎていきますので、何もしないことが一番良いことだなどの生活の知恵が身について、益々長い間変化させにくい体質となってしまいます。本当に注意しなくてはなりませんが、各申す自分はもう1年区長の役が参りまうので、注意しながら町内の皆さんと共にがんばらねば。

緊急会議

午後から町づくり関係の会議がブッキングしてありました。両方に顔を出した関係でちょっと中途半端な感じです。内容の詳細は御話できませんが、今後の町づくりをどうするかの岐路に、この地域と言うより日本全体が立っているように感じます。少子高齢化、都会地への人口集中に伴う子育てインフラ、地域間バランスなど経済縮小化に伴う未経験の対応に、地域として知恵を絞らなければなりません。知恵ばかりか汗を一杯流さなくてはなりません。従来の右肩上がり経済の感覚が強い高齢者、価値観の多様化している若者。考え方がまるきり違っている中での協議は、なかなか結論が出ることがありません。

しかし、町づくりは好むと好まざるにかかわらず全員野球です。主役のないドラマが、町づくりというシナリオに従い粛々と進んでいかなければなりませんが、そのシナリオを描くのは住民が出来るのでしょうか。小さな町では、会議の内容はある程度のスピードで広がります。そこに予測もしない摩擦が起きてくることがあります。住民から信任を受けて組織を運営している人にとって、組織の外側から様々な意見が飛び込んでくるのは、その対処に実に苦慮するものではないでしょうか。広く意見を聞いて組織運営に活かさなくてはいけませんが、そうすることで決定が遅れることもあります。民主主義の原則でしょう。しかし、その原理原則ばかりでは機を失うこともあると思いますが、その点を補完するのがリーダーシップであると思います。責任をがっちり受け止めているリーダーがいる組織は、メンバーの隅々までポリシーが浸透しているような気がします。

がんばろう日本

現在、国内では現実と予測と結果が混在して、大変国民の生活は混乱を起こしています。特に予測の部分で放射能に対して当然でしょうが、危険値の基準が全く曖昧であるため、基準値を超えたという表現の基準が国民にはほとんど解りません。その為に、出荷停止の野菜など、同じ野菜を一年間食べ続けたら生命への影響がある量であるので等の、専門家の注釈でやっと基準のあり方が解るのですが、それならば何故こうした時期に出荷停止措置をしなくてはならないのか。あらかじめの風評被害を防ぐためとかの論説もありますが、逆に、次の作付けは停止範囲の農家はどうしたらよいのかを、早く指導してあげないと、空気汚染もさることながら土壌や水質汚染などの問題も発生してくることになります。

全くの未経験な事を過去に起きた原発事故を参照して、現在の事象の解決を図りながら、ある程度の将来を予測している訳ですが、政策をしている中枢部がどこにあるのかはっきりしませんから、発表に信憑性がありません。東電にしてもやっと住民にお詫びをして回り出したと云う事ですが、住民の代表である県知事が東電社長には面会しないという状況。そして、農作物の保証を始め、これから起こりうる海産物汚染。そして、現在避難させている住民の生活保障など問題はドンドン発生してきます。こうした問題を一体どこが解決していくのか。

本日の高校野球で『がんばろう日本』の呼びかけがホームプレート後ろに掲げられています。被災地でも少しづつですが人は勇気を出して動き始めているそうです。そこには、過去を一瞬にして失う現実を体験された人たちの未来がかかっているのです。混乱など起こしているまもなく立ち上がらなくてはならない人たちが、今、着の身着のままから立ち上がろうとされているのです。国は混乱を整理して、早く安心して住める我が国を取り戻すため、イデオロギーを超えて行動するべき時です。まさに政治を超えて全力で。

男の涙

東京都知事が献身的活躍をしたレスキュー隊員を前に、涙を流しながら感謝の言葉を言っている姿。「今回の災害を天罰と」と、ひんしゅくを買う言葉すらはけた男が、家族のことも顧みず身を挺した放水行動には、全国からの賞賛を浴びていることとと思います。普段辛口な都知事もこうした行動に最大の賛辞を述べたのも、人間らしい真心からと見ている私も素直に受け止めることが出来ました。

アルマゲドンという映画のストリーのごとく感動を止め得ない記者会見も有りました。日本が一つになって復興に立ち向かわなければならない時。今なお東電関係の技術者も、目に見えない放射能の恐怖と戦いながら必死に復旧に向けてがんばっています。国民jも震災パニックから脱却して、こうした勇気ある人たちのがんばりに答えられるよう無理せず、しかしがんばる時です。

あれやこれやと

クロスカントリーが中止になって時間が出来たので、あれやこれややっておこうかと考えれば考えるほど時間に追われたこの2日間でした。反対に、当地に避難してきた姪家族や、大正村でお世話になっている先生一族の歓迎会などが企画され、昨日は昼間から一杯機嫌で、ブログも書けない始末。本当に反省しきりの3連休の夕暮れです。時間があると云うことは、時間管理神経の麻痺を起こすことのだと。同時に、自分の計画通り事が運べばいいのですが、残念ながら滅多にそううまくはいきません。

今日は恵那南高等学校の吹奏楽とギタマンクラブの発表会に顔を出してきました。吹奏楽の迫力ある音になれたところでのギタマンの繊細な音に、チョット済松戸惑いましたが、ギタマンは人数が6名なので一人一人の実力は相当なのではと、ギタマン経験のある家内が云っていましたが、繊細な音になれてくると音の種類の違いに気づいて、対アヘン心地の良い演奏に聴き入っていました。

演奏会場のかえでホールの運営も近年とみに悪化の一途。こうした催しを企画して使用してもらえないと風前の共曽比になるのではと心配しながら、演奏を聴いていまい太。やはり、町の力を一つに出来る目標が必要なのではと感じています。

あることの事実しか伝えない

災害につきものの風評。これを恐れ現段階のあることしか伝えない姿勢は、かえって国民の不安をあおっていることを国は理解していません。国民は自分の身は自分で守ることしか道はないのかと思わざるを得なくなっているのではないでしょうか。もっと国の指導者は具体的な言葉できちんと指示を出していけるよう災害の体制を整えるべきではないでしょうか。立場の範囲で物を言ってそれで責任は終わっているというのでは、今暮らしていかなければならない国民はいったいどうなるのかをよく考えて欲しいものです。

世の中本当に注意して話をしなくてはいけません。その話によって人の人生を左右するという重要な局面であればあるほど、慎重を期さなければならないのです。それは、まさにその人の責任感の自覚ではないでしょうか。言葉で自分の立場を逃げようとすると必ず相手は言葉でなく真実を求めてきます。その真実とは「あなたが逆の立場であったらどうします」と、厳しい問いかけになるのではないでしょうか。そして真実とは話す人の誠意であると思わざるを得ません。生きていく厳しさはそこにあるのではないでしょうか。

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