ロマン亭改修工事

10月2?日オープン予定で、ロマン亭の改修工事が始まって数週間たったが、まだ屋根の改修だがこれで本当に間に合うのか。昨日、工事の元受の社長に出会って大丈夫かと世間話をしたが、焦っていなかったので一安心したところですが、店の販売品がまだ何をするのか検討中とのことで、こちらも観光客や地元のそれぞれのニーズに合わせた商品そろえができるのだろうかと心配になる。共同店舗はある意味無責任になることが、今のロマン亭の姿であろう。あわせて、お客様ターゲットも相当鈍くなると思う。観光客も店の経営が相当潤うほどは来られていないようだから、地元の人もい活用される品ぞろえが必要ではないか。たとえば、手土産品などである。おんさい工房というところで作っているヨモギ餅は大変美味だが、一つが大きくて、日持ちしないので、店頭販売には不向きではないか。日持ちするものである程度味がよくとなると、いったい何があるのか考えざるを得ない。今の大正村は、お客様が来られて喜んでいただけるものを、早急に開発しなくてはならないと思うのだが、そうした意欲すら感じられない。大変失礼だけれど、三十年前をそのまま踏襲されて見える気がする。あの当時ボランティアなんて考えもつかなかったから、お客さんもわんさとお見えになった。今では、お隣の岩村のほうが見るものが多く、その文化度も高い。観光客もあちらに集まるのではないか。ロマン亭もソフトを考える必要がないだろうか。

久しぶりの友人

午前中同級生が久しぶりに来てくれた。街の中の話や今までのエピソードなど、ゆっくり話をして行ったが、相当予想以上に街が沈んでいるようで、私のようなものが心配しても仕方のないことだが、急激な称し高齢化に拍車がかかっているようだ。当地は、先代から工業生産の盛んなところで、繊維を中心に、発電所や銀行、商店など地方の小さな街にしては、生産性の高いところで発展した。特に、窯業は有名な企業の子会社が集まり、働く場所も結構あって、半農ながら企業へ務める人も多く、街は活気があったものだが、産業の転換期に差し掛かり、そこで、大正村構想なるものが現れ、中身が分からないうちに住民の大きな期待ばかり先行し、今となると構想に対する計画もない、単なる批判の的になってしまっている。なんとか皆さんの力で打開する琴ができないものか。

ロマン亭工事

長い休館を経て待望のロマン亭が再建工事が着手された。屋根は苔が生えて雨漏りがひどいようだ。わが社からは正面なので工事する人の話し声がまともに聞こえる。こうしたことも善しあし。よく今まで放っておかれたと声が聞こえた。屋根の構造が谷合が多いため、非常に雨漏りや、屋根裏に雨が回り裏から腐っているのだろうか。こうした建物も設計をどこで決められたか知りませんが、見栄えをあまりに意識しすぎた構造は、大正時代はやりのアールデコ風の設計なのか。今考えれば町屋風の設計でも大正にはあっているのではと思う。それは、屋根など平屋で瓦が使えるので、頑丈ではないだろうかと思ってもみる。内部も2階厨房が狭くて、団体の仕出しには大変苦労するということで、相当な設計変更がなされようとしている。やはり、調理専門家の意見を聞いて設計もするべきではなかったかと今になって思う。作られた当時はどんな具合で説系などが決定していったのか、自分は株主でもないためまったくわからないが、当時誰がリーダーシップをもって営業されていたのか。そして、今回も誰が最終の経営責任をもって営業されるのか、全くわからないが、本当に心配は尽きない。

新米祖母

新米母の話をしたが、その母を迎えるのも新米爺婆なので、結構迎い入れる方も言われるままにドタバタ。今日来るのでその準備で妻は昼食が3時過ぎ。それでもまだバタバタと動いているが、終わりそうに無い。要するに落ち着かないのだ。そういう自分も、何かすることが無いのかと落ち着かない。やはり新米爺なのだろう。やはり、育児も時代の流れの中で相当変わっているのだろうから、体験したはずの家内もオタオタだが、やはり、新米母とは落ち着きが違う。人生は良くしたもので、経験を語れる場があることは大変良いことだ。大正村も案内の方は、人生の経験深き先輩であったが、いつの間にかそれが、大正村の知識に変わって、他の地域と展示物などで比較される様になった。ゴーイングマイウエーもう一度そうした事が貴重になる時もある。

友人の体

街づくりのために民間ベースで会社を立ち上げ、社長に就任している友人が、本日市役所での会議の中で非常に悩んでいた。『もう年だから』こうした諸問題を解決する体力がないのだと。ほかの地域で頑張っている方は、「私はあんたより5歳も年上だ」年齢ではないよ。などと話して見えるのだが、その方が、地域の空き家の中を整理するに際し、市役所の対応についていささか文句を述べて見えた。スケールの大小ではなく人間もっともなこととそうでないことは判断しずらいものだ。友人の悩みは、街づくりで始めた会社が金儲けをしてもいいのかどうかの議論dあそうだ。思い返せば、わが大正村もそうした議論で、儲けた金を役場に指定寄付をして、町所有の他店のの修理などに使用したり、イベントで費用をたっぷり出して日ごろのボランティアを慰労したり、来村されたお客様に喜んでいただくため、街中でチンドン屋、大道芸、紙芝居、コマ回しなど楽しんで、大正時代にタイムスリップしてえもらうことなどチャレンジした。しかし、今はランニングコストが収入を上回ってきだして、そうしたイベントがだんだんできなくなってきた。やはり、金は儲けなくてはいけない。まっとうに儲けた金をどのように使うかだ。金を儲けるためには、一生懸命働く。自分たちはお客様からもうけをいただいているという気持ちを大事にしなければ、気分よく楽しんでいただけないだろう。しかし、そのためには友人は社長として、今の自分の立場が大変むつかしいことになる。それは、自分がどちらに仕事の比重を置くかである。もし、街づくりに置けば儲かったときこれまた地獄になるし、赤字になれば容赦なくたたかれる。結構友人は人を気にしている。人の口は何でも勝手に言えるが、何一つ手伝ってくれることはないであろう。心労を晴らすには体に障らないように一杯飲んで忘れることだ。

地域活性化

久方ぶりの地域活性化の話題。「地域再生の失敗学」という本を少し読んで、さっそく友人に著者を呼んだらと思い連絡したが、すでに当地ではある程度チャレンジしているらしい。最近は過疎化は前提で今後の地域活性化にチャレンジしていこうとしているところが多いようだ。過疎ではある程度地域の集積を高めるためには、地域によっては従来よりも空疎になっていくところも覚悟しなければならない。それが、自分の住む地域になった場合どう考えるのか。地理、インフラ条件の良いところは必然として土地価格hあ高い、反面条件の悪いところは人は集積しずらい歴史になっていく。そこでも今後住んでいきたいと生活をしていけるところはまだましだが、経済条件などで済むのに不便なところは、条件のいいところに引っ越すしか方法がない。先日も、道路の改良で庭がかかり買収される方が、隣の市へ引っ越された。まことに恨めしい話だが、そこの家の判断ではなんともし様子がない。そうといって道路改良はしてほしいしと思えば心が引き裂かれる思いだ。この地域を作ってくれた先輩たちは血の汗をこぼして街づくりにはげんでくれたのを思うと、何とかしなければと焦る気持ちは強い。しかし、ひとにはそれぞれ生活があるのだから、こちらの都合のいいようにはならない。文化を大切に地域に誇りをもって生きていける自信を植え付けたい。

形だけ

「大正村おんさい祭」のイベントが十数年間続いている。ボランティアで日頃から活躍している人たちに、この日ばかりは精一杯楽しんでいただこうと、地元サークル、チンドン屋、大道芸、女剣劇、猿回しなどが街頭で様々な演技を披露してくれる様にして、大正村のメンバーや遊びに来られた人たちに恩返しする仕組みである。大正村が成り立っているときは、こうして利益還元ではないが、あくまで自力で得た所得を還元する目的であったが、今では、大正村本体が税金に頼っているので、こうしたお祭りも自立性がなく、どうしても活性化しないと同時に、何年たっても同じことの繰り返しで、そこには全くの工夫が見えない。そして、年々客が減るため、街頭バザーも参加が減少する。活気のない祭はお客様も楽しくない。こうしてドンドン落ち込んでいくことに危機は感じないだろうか。形ばかりのお祭りでひょっとして満足しているのだろうか。

中高生の提案

一生懸命な姿勢が心を打つ。せっかくの提案だから、何とかしなくてはと思う心が先走る。様々、新しい発想が大正村に夢を持してくれた。誰がやる。もっとも大きな問題だが、小さなできる事から地道にやっていけば、前の街づくりの活気が生まれるかも。やらなければ何も生まれるはずはない。

中学生の町内見学提案

今日は中学、高校の生徒さんが町内を見学後グループディスカッションで提案をしてくださるそうだ。まずは、どんな感想をを持って見えたか、どんな提案をくれるのか大変楽しみであり、提案の実行できることはできたら共同して実現したい。折角こうした機会を貰えたのに、ほったらかすことだけは絶対避けたい。しかし、現在活発な活動組織が見当たらない。最も注意することは、組織に無理に押し付けて、嫌々実行させることだ。共同する生徒に悪影響が及ばない様注意しなくてはいけない。

竹田市長

岩村の街づくり株式会社が、大分の竹田氏へ視察に行って、そのお礼を兼ねて市長がお見えになり、住民向けに自分の体験を話してもらへ、聞かせてもらえる機会を得た。よく頑張って見える姿が眩しかった。62歳なのでもうそろそろ引退をしなくてはと言われていたが、エネルギッシュに幅広い体験を話されていたが、殊に、人間関係、自らの行動を理解してくれた方の思い出話が多かった。田舎町で新たな事をするには、本当に反対者を如何に説き伏せていくためのエネルギーが費やされる事か。しかし、反対者がおるからこそ、事業推進のエネルギーが湧いてくる様だ。

大正村も活発さがなくなった時期は、大正村事業がドンドン国の金も入り、事業費も豊かに拠出される様になってからだ。街づくりは、人の文句は言わず、ともかく明るく、楽しくやれる事が鉄則の様だ。それは、自分の中でそうする事が可能な事だけれど。

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